死の間際までヨーガとともに
3年前の今ごろのことです。寒い冬のお正月明けのころ、一人の女性が初めて魂の道場を訪れました。 今世で初めて対面しました。 1ヶ月後に地上を去る神様との約束がある彼女に。 「先生、私、病気なんです」 私は、「貴女は病気(という人)ではありませんよ」とお返しました。 それから半年間、この道場で一緒にヨーガを学びました。 私に「もっと生きたかった!好きな人と恋愛して、結婚して、子供も産みたかった!」と叫んでいました。 私は、洗濯物をたたみながら駄々っ子を背中であやす母親の様に、黙って聴いていました。 刹那な彼女の姿を、道場にいる時ふと思い出すことがあります。 私はこれまでの指導人生で、あれほどまで真摯に、命をかけてヨーガを学ぶ方とお会いしたことはありません。 それは、魂から込み上げる想いのようでした。 彼女がヨーガを学んだのは、わずか半年でしたが、 それで良いのです。 彼女は、今生で十分にヨーガを学び切りました。 ヨーガは、200Hや500Hといった時間単位ではかれるものではありません。 生き方に反映されているかどうかです。 彼女は、現代のヨーガインストラクター以上に、ヨーガについて熟知していたと言っても過言ではないであろうと思っています。 彼女は、TTCではとても学べない経験をされました。 彼女のヨーガはまさにヨーガ、変容、 死を受け入れる ことでした。 自分のガンを通して、心の正体を学びました。 心が病気の原因であることを、自らの病からさとった彼女は、心を清めることに意識を向けました。 そして、ヨーガの扉を開かれたのです。 真のヨーガの扉は、苦しみと引き換えなのかもしれません。 死にたくない、死ぬのが怖い。 そう言っていましたが、「でも、先生。これを受け入れることが、私のヨーガなんですよね?」 動き始めた自然の摂理を、地上の人間が止めるこなどできません。真理を受け入れることも学びました。 自然の摂理は、ガンに蝕まれていく彼女の肉体を衰弱させ、代わりに心を清めていきました。 彼女は、管だらけになった肉体でも、日常の小さなことに感謝していました。 もっともっと、友達に優しくすればよかったと言っていました。 残された人は、逝った方に対して、もっと優しくすればよかったと悔やむことがあります。 でも、逝く人も