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2月, 2015の投稿を表示しています

現代人の心を救うアーサナプラーナーヤーマ瞑想

夜のヨーガクラスは、瞑想を主な実践内容にしています。 現代のヨーガは、朝も昼も、夜も365日アーサナのようですが、皆様もっと瞑想をしませんか? でもその前に、 瞑想できる心と体に準備してから 始めてまいりましょう。 ストレス社会となってしまった現代は、スピリチュアルのブームの影響も後押しとなり、多くの方が瞑想に興味を持たれています。 瞑想に関する数多くの書籍にはじめ、瞑想講座、瞑想体験会が各所で開催されています。 ですが、巷で認識されるほど瞑想は安易に取り組めるものではないのです。 そのことをきちんと大衆に説明しないがために、多くの方がいきなり座って瞑想しようと試みます。 これほどに、無謀な瞑想の取り組み方はありません。 そのように雑な取り組み方であるために、居眠りや思考の渦に巻き込まれてしまい、多くの方に瞑想は良いと認知される一方、瞑想はむずかしいと言われてしまう結果になっているのです。 瞑想に適した心と体に準備してから行って下さった時、はじめて瞑想の良さがわかります。 まったく準備なしに「はい、では瞑想しましょう」このようにいきなり始めると、心の状態が瞑想の性質になっていないため、雑念にあっという間に邪魔されてしまうのです。 ところで、アーサナの一点張りは、よけいに心を複雑にしていることをご存じですか? お若いうちは、アーサナをすることも楽しいと思います。 ですが、ご高齢となられた時を考えなければなりません。 お若い時にアーサナだけのヨーガに取り組んだ結果は、精神状態に現れてくるようになります。 落ち着きながなく、お若い時以上に動揺や不安にかられ、智慧がなく精神的に深みがないため、生きた分の重みが人格上に現れないでしょう。 アーサナは、心を形成していく作用があります。 このことを十分に考慮して取り組んで下さい。 さて、3月の夜の実習は、「アーサナプラーナーヤーマ瞑想」です。 より深いヨーガの実習をお求めの方へ、深い瞑想を実践していくクラスです。 肉体と神経を鎮めるアーサナ、エネルギーを整えるプラーナーヤーマとバンダ、そして瞑想とヨーガの手技をバランスよく実践していきます。 夜の静寂な時空を活用して、心身に精妙な刺激を与えていく非常に

ヨーガの教訓 ~ヨーガの心構え~

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「それでは、ヨーガの実習をはじめてまいります」 もう一度、はじめからヨーガをお始めになることをお考えの方へ 「ヨーガで、まずは人間として生きる知識と生きるすべを学んで下さい」 地上を霊的修行場とする魂は、「人間」の心と体の境遇を生きる知識と、人に役立つ人格が根底になくてはなりません。 ※人間の境遇は、ヨーガスートラを解読して頂くとわかりますが、ここではテーマが異なりますので解説は機会がある時にゆずるとします。 人間の道においてのその人の人格をあらわすもの、それは礼儀と所作です。 格式のことではありません。 この二つは、思いやりの心を表現するための道具として使います。 魂が本質の人間は、品格と知性をそなえた存在です。 礼儀と所作は、人間の本質である霊的資質を肉体を使って表現するためのツールなのです。 ヨーガの霊性を高める実践部門は、自他愛、思いやりの行為です。 礼儀と所作を通して、相手に慈悲と思いやりの心を伝えます。 これは、自らの行為をもって霊核を高めていく実践のヨーガです。 実践的なヨーガを目指して、まずは初歩的な段階として礼儀と所作を身につけ、実生活の中で実践することからお始め下さい。 ※すぐにアーサナに飛びつかないようにお願いします。 では、基本が身についていないまま、アーサナの一肢則だけをヨーガとして取り組んだ場合どうなるのでしょう? 考えられるのは、肉体意識が優位になり、精神は未熟なままという状態です。 物質的意識が霊的意識より勝ると、人間は五感から得られる刺激を追い求めるようになります。 人間は、五感のみで生きている存在ではありません。 霊の力が人間の原動力です。 その力を開発し、洗練させ、さらに向上進化させるように意図しながらヨーガに取り組むことが、本来の実習方法として望ましいのです。 肉体は、健康であるように気を遣うことができればそれで結構です。 それ以下でもなく、それ以上にもこだわりすぎる必要はありません。 肉体よりも、心を洗練させ霊性を高めることに意識を向けて下さい。 魂の力が優勢になれば、肉体はその恩恵を受けることができます。 肉体意識が優位で幼い心は、五感の世界は楽しむことができても、人生

車椅子のワンコとおばあさん

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今日のヨーガ教室を終えて田町の駅に向かう途中、天使に会いました。 駅前近くの私の天国。 遭遇して今日で2回目。 いつまでもいつまでも、二人の背中を見送りたくなる光景があるのです。 あなたにも、見せたいな。 初めて見たのは去年。 寒い夜でした。 荷車を押しながら歩くおばあさん。 その横に付き添うように歩くワンコ。 ワンコは、二本の後ろ脚を荷台に載せ、前脚だけで自分の身体と脚の乗った荷台を引っ張って歩いています。 二人の歩みは 一心同体です。 踏み出す足取りは一歩一歩とてもゆっくり。 そう、ゆーっくりなのです。 ワンコとおばあさんのいたわり合う気持ちがあらわれているようです。 私は「ウワァ〜」って、 生まれたばかりの赤ちゃんを見た様な感動に包まれました。 誰もが家路を急ぐ中、そんな流れとは反対のワンコとおばあさん。 今日、久しぶりにお見かけしました。 二人を見ると、 どうして涙が出るんだろう?

道なき道のヨーガの歩み方

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大切なことは、ヨーガの達成(現代はポーズが達成でしょうか?)そのものよりも、それに向けて実践し努力していく過程での体験によって、人間性がどう形成されていくかです。 来る日もポーズの練習に明け暮れ、 過度な肉体修行の末、肉体ばかり発達して霊性がともなっていなかったということになりかねません。 これは、古代のハタヨーギにみられた脱線の一例です。 人間は、魂をたずさえている肉体ではなく、肉体を持った魂です。 ですから、肉体の原動力となっている魂を発現させることを動機としてヨーガにお取り組み下さい。 ヨーガを活用して霊核を高めていくためには、肉体と精神、魂の三つを同時に高めていくように実践します。 このバランスを常に見極めて下さい。 たとえば、テクニック的な行法が多すぎる場合、物質的意識が優位になっていきます。 では、知識を学べばよいのでしょうか? 生命の実相を得心するためには、はじめは知的理解が必要になります。 ですが、人は知識だけで悟ることもできません。 難易度の高いポーズに快感をおぼえていくように、知識もより複雑なものでなければ、満足できないようになっていく傾向があります。 ポーズも知識も大切です。 ですが、いずれにも固執せず、バランスよく取り組んでいくセンスが必要です。 また、ヨーガの実習に継続は欠かせませんが、それがないといられないという心境にならないように、冷静さが必要です。 強い刺激を伴うポーズをやり過ぎると、やらないと気持ちが落ち着かないなど中毒性になる可能性があります。 ですから、ポーズの出来た出来ないに一喜一憂しない。 ポーズは、霊性を高める道には健康であることが条件というだけの理由です。 ヨーガで冷え対策や若返りなど、女性の心を魅了する言葉がありますが、ヨーガは女性の機嫌をとるためのものではありません。 なぜ大衆は、そのような安売りの言葉に気を引かれてしまうのでしょう? ヨーガが あなたにもたらすものは、肉体を超えた意識です。 どんなに肉体を発達させても、死後の世界までそれを背負っていくことはできないのです。 誰もが潔く脱ぎ捨てていかな

ドラの命日

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2月9日は、23年間ネコとして生きたドラの命日でした。 ドラが息を引き取るその瞬間、隣にいれたことを幸せに思っています。 そして、魂がネコの肉体から抜けるその前の様子とその瞬間を、今でもはっきり覚えています。 ドラは、寒い2月の朝に逝きました。 首をうなだれているドラを見た時は、もう死んでしまったのかと思いましたが、私と母がそばに来たことがわかると、ドラは意識を戻してゴロゴロいつものように喉を鳴らしてくれました。 私と母が起きてくるまで、逝かずに待っていてくれました。 そして、わずか10分後に逝ってしまいました。 「ドラ」と認識されていたそれではなく、魂が抜けていく時は、人間は手出しできないものですね。 その瞬間をそばで見守り、魂が抜けたすぐ後、私はドラの口元でささやきました。 om namah sivaya ドラは、私が瞑想するともう一匹の猫と私を挟んで座り、静かにしていました。 ネコは、気配なくやってきます。 瞑想から目を覚ますまで、私はネコが横にいたことに気づきません。 でも、そんなに大人しい彼らではなく、やっぱりギャング。 猫のポーズの時は、待ってましたとばかりに背中にピョ~ンと乗って得意顔。 コブラのポーズの時は、胴体の下の微妙な隙間がお気に入り。 シャヴァーサナの時は、胸の上に乗ったままビクとも動いてくれません。 私と生きてくれたネコたちは、気にしないという技の良い修行相手になってくれていた様です。 ドラは、最後の半年間は視力も失ったまま生きました。 足腰も弱くなりましたが、ヨロヨロしながらいつもリビングを歩いて運動していました。 ネコも人間と同じですね。 最後までボケないようにと頑張っていたようです。 ドラが逝って1年。 ネコのいない静かな家に、ピアノだけが鳴り響くようになりました。

知識と悟りの道の真のヨーガ

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これまでに成し遂げられてきたヨーガの普及は、アメリカのパワーヨーガに始まり、日本にもその息が吹きかかりました。 そして、今では世界中に認知されるまでに至りました。 人智を超えた人類救済計画のはからいがなければ、ここまでは及ばなかったものと思われます。 これまでのことは全てが準備でした。 今日までのヨーガの広がりは、人工的であったにせよ、物質的意識に陥った人類の意識を変えさせるための序章でした。 人々の関心が、深化の差はあれど内面的なものに向き始めたのは、これから先の進歩を迎えるための準備になっているのでしょう。 感受力の高い人々は、少しずつ気づき始めています。 現代社会で見られるこれが真のヨーガだろうか?と。 これまでは、人工的なヨーガが大衆を魅了してきました。 ですが、真のヨーガはそうしたものに全く影響を受けずに実在しています。 これからは、目を覚ました一人一人が名乗りを上げ始める時です。 人々は、真のヨーガを求め始めるでしょう。 人工的なヨーガでは、魂の琴線には触れられず、目覚めの道としては満足しなかったのです。 なぜなら、彼らのヨーガの探求は、心の内奥から突き動かされたものだからです。 煩悩を解決するための情報では飽き足らず、問題のすべてに解決をもたらす知識と悟りの道へ導く真理の杖が必要なのです。 認識を曇らせる原因は、いつでも人間の内側にあると言われます。 健康を妨げる阻害物で体内が埋め尽くされていては、見るもの全てにスモークがかかってしまうでしょう。 取り越し苦労の心は、落ち着きを与えず、立ち止まることを知りません。 次から次へと行動へと突き動かしていきます。 このような活動過多な心身状態では、生命の実相を理解することはできません。 抱いた理想を地上で実現するには、確かな手だてが必要なのです。 大衆的な情報から理解されるほどに、霊的な悟りを得ることは容易ではありません。 摂理に即した道を歩んで下されば、おわかりになります。 気安さや気楽さ、

霊性と品格の香水

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yoginibeauty 貴女はヨーガに生きる美しい女性 人間の器を通して 霊性と品格を発現する yogneyi yogneyi の肉体を貫く 霊格貴き霊言は 聴く人の霊性を鼓舞し 神性な本質を顕現されることを 強く望むようになるでしょう なぜなら それこそが、人がこの地上で為すべきことである故に 闇には光を 憎しみには愛を 絶望あるところに霊性を 愛から発動された言葉のみが 人の魂を目覚めさせ 愛ある香りがそうであるように yoginibeautyの香水は 霊の力がそなわっていることを 自覚させます 霊の力、それは愛 この地上で生きている間に 自覚してまいりましょう。

不運だったけれど不幸ではない!

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この映画のあらすじを読んでいるだけで、泣けてしかたありません。 公開されたら、観にいこうと思います。 SAYAMA みえない手錠をはずすまで  公式サイト 渋谷アップリンク   2月21日(土)~3月6日(金)公開

真のヨーガ指導者を日本から

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かつては、ヨーガの聖地と言われたインドのリシケシ。 昨秋訪れた時は、所狭しとTTCが開催されているヨーガの観光地になっていました。 今から10年以上も前になりますが、パワーヨーガが流行していた頃の西海岸と同じ現象を感じさせられました。 サンタモニカに立地するヨーガウェアのショップ、ルルレモンの店内にあるフリーボードには、貼りきれないほどのTTCの広告で埋め尽くされていました。 そのいずれもが、短期で修得できるTTCの広告でした。 リシケシのヨーガスクールも同じように、短期のTTCが選り取り見取りです。 宗教大国であるインド人の彼らなら、祈りや瞑想に要する集中力は、短期で習得し得ないことは承知のはずです。 物質的意識に心を翻弄されて生きる先進国の現代人に、どうしたら祈り瞑想する心になっていけるか、そのヨーガの科学を伝える適切な役目を果たして下さっていました。 かつてはそうであったはずです。 私は、以前のパートナーがインド人のヨーガインストラクターであったことから、インドに対する憧れや称賛だけでは決して垣間見れない裏面の事情を、冷静に見つめることができました。 いえ、見せられてきたと表現した方が適当かもしれません。 その結果、私をこの様に突き動かしています。 当方にも、短期で指導者になれるかお問合せを時々頂きます。 その度に思うことは、この道に続いて下さるであろうこれからの方々に、こうした安易な理解に至らせてしまったのは、先にこの道を歩んで敷いた者の責任と受け止めています。 短期の講座で実現できる指導者レベルでは、エクササイズまでは通用しても、様々な原因で健康を失っている人々に対面する実際の現場では、到底太刀打ちできず、自信喪失から道を失っている方は少なくありません。 あれほどTTCに、時間と大金を投資されたにもかかわらずです。 このヨーガ事情は、いつ転換するのだろうと、この健康産業の動向を27年間冷静に見つめ続けています。 誰かが先頭に立って藪を切り開き、後に続く方が少し楽に通れるようにして差し上げなければなりません。 だから短期で誰

精油の香水

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精油で香水をつくりました。 合成の死んだ香りではなく、精油でつくる生きた香りです。 香りは、魂の品格を表現する大切な道具。 波動豊かな美しい香りをまとって下さい。 ヨーガを始めてから、動物性の食品やアルコールが体質に合わなくなったという方がいますが、香りにも同じことが言えます。 合成の香りより、自然の香りの方が好きになるようです。 様々な香りの物語が生まれ、ボトルに入魂されました。 今日の誕生日に、旅立たせます。

真のヨーガ修行は愛

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いつもこの時期になると、ふと思い出すことがあります。 私が初めてインドのリシケシを訪れた日のことです。 二度目の二十歳を迎えた2月6日でした。 冷たい雨が降っていました。 インドなど全く興味がなかった私ですが、インドへ行くというたった一瞬の閃きが、3ヶ月後のお正月には南インドへ私を連れて行きました。 それから何度か足を運ぶようになり、ついには日本の仕事をやめてインドで暮らすまでに至りました。 インドで生きて、さぞかし立派な師について、ヨーガ修行をしたことだろうと思われるかもしれません。 ですが、私には他人に語れるようなヨーガ修行も、有名な師に師事した経験もありません。 アシュラムも、1ヶ月滞在しましたが、興味はありませんでした。 異端児みたいですね。 地上で生きる人間の魂は、人間という境遇を生きることを通して霊核を向上させるため、地上に一時期滞在します。 アシュラムの決まり切ったカリキュラムをこなすことではなく、地上に滞在する間、この境遇と予期せぬ出来事を生き抜くことこそが、アシュラムだと思うようになりました。 人生を、真理を学ぶ師として理解してみると、真理が出来事になって顕われている霊的な成長の場です。 地上の人生こそが、まさにヨーガアシュラムなのです。 人生にふりかかる出来事を、感情で観ず深く洞察すること。 するとそこには、言葉で語らぬ存在の教えが織り込まれています。 病気になった時や家族を亡くした時、お金を失った、裏切られた騙された、などの人間社会にとっての不運ほど、魂にとっては最高の師です。 なぜなら、不幸と言われる出来事こそが、魂の力を引き出す打撃となっているからです。 自然の摂理は人間を制するために働き、苦しみの時こそカルマの埋め合わせが為されていることが観えてくると、どんな苦悩であってもこの心は甘受の境地に至ります。 打撃を通してこの傲慢の角が一つとれると、代わりに謙虚さや魂の力が出てきます。 そうした変容の過程を経たことにより成長した魂は、その霊核に適した真理に出会っていくようになっているのです。 「哲学の入り口は、苦しみでなければならない」という一節があります。 ここに、人間が地上で真理に出会ってい

霊性を高める真のヨーガ入門

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人間が霊性を向上させていく時は、心の落ち着きと安定がそなわっている状態のもとで行われます。 ヨーガが先ず、正しい心の姿勢を身につけることを目的としているのは、そうした理由があるためです。 人間は、心の安定が得られたときに初めて、真の自己を自覚できます。 真の自己と出会う方法は、ヨーガの真髄である瞑想です。 人間の心は、安定していない時は常にとりとめもない思いや感情でいっぱいの状態です。 不安定な状態では、大いなる存在の意味を知的にも理解できないばかりでなく、自覚することすらできないとされているのです。 心を安定させるはずのヨーガが逆効果にならないように、ヨーガの概念と体系を理解して行うことが大切です。 ヨーガのアーサナは、肉体的生理機能だけではなく、内面の深い部分に繊細に影響を与えていきます。 心と体がともに健康であることが、ヨーガの目的である完全な健康です。 単に肉体が病気になっていないだけではなく、抵抗力と免疫力をそなえ、変化に対応できる受容力があり、喜びと活気で満たされている状態を意味します。 このような状態を、現代人は外から与え過ぎているために、人間が持っている内面の活力を自覚する体験ができがたいのです。 とくに日本は、癒し産業が発達しすぎて、世間の関心は癒すことばかりに偏りすぎています。 この現象は、人間本来の力を徐々に失い、自分自身の脚で立つ機会を奪わせ、虚弱化させる原因です。 人々は、いっそうの癒しを求めることで、本来の抵抗力や心の活力を次第に失っていく裏面にも、目を向ける必要があります。 自分を守り、力を得るための様々なグッズや健康食品、サプリメント、代替療法、占いにまで発展するなど、外的な方法に頼らざるをえなくなってしまいます。 外から五官に刺激を与え、心を喜ばせたり活力を得てばかりでは、人間は無気力で怠惰になってしまう一方です。 ヨーガでは、スティヤーナ(無気力)とアーラスヤ(怠惰)は障害であると考えられています。 現代人に見られる症状ではないでしょうか? これは、心身の不健康、不調和のサインであり、真剣に考える必要があります。 なぜなら、人生の逆境に出会うことを学習していないために、不意打ちを受けて初めて、自分に体力

知識と勇気をたずさえて霊の道を行く

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「自分に自信がない」とおっしゃる方は少なくありません。 どうしたら、自信がつくのでしょうか? 3年前、密教の師と出会い、半年間個人指導で学ばせて頂いた時のことです。 初めてお会いした師は、私の顔をご覧になるなり、こう言葉にされました。 「あなたは行動力があるようだが、智慧がない」 今なら、その理由がわかります。 私には、この地上で生きる魂の自覚がなかったのです。 それは、まったく知らない外国へ一人で行き、その土地のルールも知らずに滞在するようなものです。 地上での魂の生き方、生きる意義を知らないと、不安がつきまとうことを知りました。 それまで知らずにいたから、知ったことにより、そのようにわかったのです。 人間は、物質的意識に偏りすぎると、バランスを崩します。 人間は、魂を持った肉体ではなく、肉体を持った霊的存在の魂だからです。 この自覚がないまま生きていると、本来の意識状態ではないため、だんだんと切なくなってきます。 もちろん、自覚がないまま生きていける方も存在します。 ですが、ご本人が気づかれないだけで、どこかに歪みは来しているかもしれません。 人間である魂が、地上で生きていくには、知識が必要です。 きちんとした知識があれば、生きる勇気になります。 予期せぬ出来事の意味を洞察し、受け入れる勇気にもなるのです。 安泰だと思っていた矢先は、怒涛のような人生が展開することは、この地上では自然なことです。 地上には、それを体験しにきている多くの魂がいます。 ヨーガという地上で生きる魂を進化させるためのツールが、天から降りてきています。 これをきちんとつかみ、感謝とともに正しく理解して、地上を生き抜くバイブルにして下さい。 どんなにヨーガで外見の美しさを磨いても、最後に問われるのは、内面の霊核です。 今からそのことに気づき、霊核を高めていくようにヨーガを実践することができれば、いずれ訪れる死さえも、安らかに受け入れる一助になるでしょう。 それが訪れてからでは、遅いのです。 そうした方々を、私は何人も見てまいりました。 ですから、今からきちんと準備をしましょうねとお伝えしています。 どうか、アリとキリギリスのお話のようにならな

無意識から意識した生き方へ~真のヨーガ入門

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インドで暮らしていた時のこと、あるヨーガの師がおっしゃった言葉です。 「幸せになりたかったら、ヨーガをしなさい」 シンプルですが、なぜか後を引く言葉です。 師の仰った「幸せ」と、「ヨーガ」の意味を解説させて頂きます。 まず、ここで言われているヨーガとは、人工的なヨーガを指しているのではなく、源泉のヨーガをしなさいという意味で言われています。 人工的なヨーガでは、ヨーガの成果には成りえませんよという意味が込められています。 師はそのまま言葉を続けられました。 人間は、サムスカーラという潜在的な心の印象に、目の前の対象物への反応や言動を支配されているため、自動的に反応してしまう。 このサムスカーラを浄化していくこと、自動的に反応する生き方から意識的な生き方へ進化していくことをヨーガは説いていると。 言及しておきますが、意識的な生き方になることがヨーガのゴールではなく、そこは通過点です。 意識的に生きれるようになってこそ、習慣的な生き方から解放されるのではないでしょうか? とはいえ、潜在意識という介入できない次元を浄化していくなど、言葉ほどに容易くないことは、ヨーガを実践されていくと次第に見えてきます。 無理難題に取り組むことは、苦行にもなりかねません。 潜在意識を覗くことより先に大切なことは、日常的な思考パターンや心の習慣に自分自身で気づくことです。 それにはやはり、自分を意識できるようになることは欠かせません。 では、なぜこの取り組みが必要なのでしょうか? 不安癖や懐疑的な心の癖、怒り癖、想像が行き過ぎて妄想に陥る癖など、心の癖には人の数ほどに様々なパターンがあります。 自分の心にどのような癖や思考のパターンがあるのか、自分自身で気づくことができれば、自分を変えたい人にとっては、改善の道をたどる可能性が開けてくるからです。 実は、ヨーガの実習がまさにその助けになるのです。 そのはずなのですが、現代のヨーガはポーズに取り組みすぎる傾向がある為、自己観察の訓練の場になり得ないのです。 ヨーガを始めたばかりの頃は、リラックスを楽しんだり、ポーズで身体を動かしたことによる爽快感や気持ち良さを楽しんで下さってよいので

霊性を高めるヨーガの道しるべ

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ヨーガへの関心は今だ高まっています。現代、ヨーガはヨーガレッスンとして賛美されるようになり、主に女性の間で親しまれています。 しかし、ヨーガレッスンを行う人々がみなヨーガを理解して行い、本来の目標に向かっているとはかぎりません。 人工的なヨーガが氾濫する今となっては、ヨーガ本来の意味は誤解され、人々の理解が統一されていないことを考えるなら、致し方ないでしょう。 次から次に編み出される現代版ヨーガが流行する今となっては、ヨーガ本来の理解を統一化させるには、長い年月を要することと思います。 ヨーガで肉体と精神のバランスをはかるためには、世俗的な情報を鵜呑みにしないように、自分自身でもヨーガを理解していくことが大切です。 ヨーガで肉体的健康ばかりでなく、哲学的・宗教的観点から人生の意味、魂の成長の道を学び、霊の世界を探究していくことが、バランスよく成長していくために望ましい方法です。 この点を見落としまま、肉体の視点のみからヨーガを続けた場合考えられるのは、身体を伸ばして気持ちいい、リラックスして癒されたまでの五官の感覚体験でとどまってしまうことです。 そうした感覚の体験が、ヨーガだと思い込んでしまう方は少なくありません。 また、ヨーガのレッスンで感じた気持ち良さを共有したいという思いに発展し、ヨーガインストラクターを目指す傾向にあります。 自分の浅はかな経験から想像で理解したヨーガでは、得られるものにも限りがあります。 ヨーガから得られるものは、人生の意義や霊的な生き方を学んで実践する機会を、聖職者だけではなく、一般生活者であっても得られることです。 精神的な面も含めて、全体的にヨーガを理解することでこそ、ヨーガから得られる恩恵を体験していくことができます。 人間の地上生活の意義は、魂の成長です。 外見や容姿といった肉体ばかりに意識を向けていると、霊性とのバランスを失います。 すると、とくに大きな悩みがあるわけではないのに、充実感がなく、不満を感じる様になります。 なぜ人生に苦悩があるのか、その 意味の探究、宗教や哲学から人生の意味を学び、生き方に反映するように努力すると、物質的意識と霊的な精神のバランスがとれ