ヨーガ修行の壁を教示する必要性
多くの人々がヨーガに興味を示し取り組むものの、闇に葬られている事実があります。 それは、ヨーガ修行にまつわる壁、障害に対処できず、悩み苦しんでいる人々が後を絶たないということです。 ヨーガは、軽々しくやれるものではない。 その様に言う師の存在は、現代社会の中ではみられなくなりました。 代わりに、入会金と引き換えに始められ、未経験でもヨガインストラクターになって人々に教えられる時代になりました。 この様に言われたら、現代人は手厳しさを感じて拒否反応を示すかもしれません。 「じゃあいいよ、や~めた」となるでしょう? 旅の安全ガイドがあるように、ヨーガにもなければならないものです。 本来はあります。 ですが、大衆的なヨガの中には示されていません。 人々が気にいる良い面ばかりです。 ですが、その良い面は本来のヨーガとはまったく関係がなかったりします。 一般的な理解には、これを見抜く眼力がそなわっていません。 ですから、夢と憧れだけを持って気軽に入っていきます。 なぜ旅の安全ガイドがなくてはならないのでしょう? ヨーガで行く旅は、安全な国ではないのです。 あなたを悩ますその心。 ヨーガの旅は、自分の心の中です。 ヨーガ・スートラを読んで下さると、この意味は十分にわかって頂けると思います。 心の旅は、キレイな観光地巡りではありません。 写真を撮っても、曇ってしまったり濁って写ります。 本来は澄んだ国です。 人間が、濁り曇らせてしまったのです。 この旅は長い道のりになります。 相応の忍耐と努力が必要です。 途中には予期せぬハプニングもたくさんあります。 根気と勇気、謙虚さをそなえてご出発下さい。 それがないうちは、師に見抜かれヨーガ修行は始まりません。 師はあなたに意地悪をしているのでも、美味しいものを取り上げているのでもないのです。 危険を回避して下さってるのです。 あなたにヨーガの壁を乗り越える力が、まだそなわっていないのを見抜いているからです。 本来はそうだったのです。 私は、ヨーガと瞑想の指導現場におります。 ヨーガ修行の脱落者や障害に対処できずにいる人々、対処法を示しても対処する前に自我に負けてしまう人々、その様な現場を多く見てきたことを事実として申し上げます。 犬が自分の尾を自分で追いか