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3月, 2015の投稿を表示しています

ヨーガ修行の壁を教示する必要性

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多くの人々がヨーガに興味を示し取り組むものの、闇に葬られている事実があります。 それは、ヨーガ修行にまつわる壁、障害に対処できず、悩み苦しんでいる人々が後を絶たないということです。 ヨーガは、軽々しくやれるものではない。 その様に言う師の存在は、現代社会の中ではみられなくなりました。 代わりに、入会金と引き換えに始められ、未経験でもヨガインストラクターになって人々に教えられる時代になりました。 この様に言われたら、現代人は手厳しさを感じて拒否反応を示すかもしれません。 「じゃあいいよ、や~めた」となるでしょう? 旅の安全ガイドがあるように、ヨーガにもなければならないものです。 本来はあります。 ですが、大衆的なヨガの中には示されていません。 人々が気にいる良い面ばかりです。 ですが、その良い面は本来のヨーガとはまったく関係がなかったりします。 一般的な理解には、これを見抜く眼力がそなわっていません。 ですから、夢と憧れだけを持って気軽に入っていきます。 なぜ旅の安全ガイドがなくてはならないのでしょう? ヨーガで行く旅は、安全な国ではないのです。 あなたを悩ますその心。 ヨーガの旅は、自分の心の中です。 ヨーガ・スートラを読んで下さると、この意味は十分にわかって頂けると思います。 心の旅は、キレイな観光地巡りではありません。 写真を撮っても、曇ってしまったり濁って写ります。 本来は澄んだ国です。 人間が、濁り曇らせてしまったのです。 この旅は長い道のりになります。 相応の忍耐と努力が必要です。 途中には予期せぬハプニングもたくさんあります。 根気と勇気、謙虚さをそなえてご出発下さい。 それがないうちは、師に見抜かれヨーガ修行は始まりません。 師はあなたに意地悪をしているのでも、美味しいものを取り上げているのでもないのです。 危険を回避して下さってるのです。 あなたにヨーガの壁を乗り越える力が、まだそなわっていないのを見抜いているからです。 本来はそうだったのです。 私は、ヨーガと瞑想の指導現場におります。 ヨーガ修行の脱落者や障害に対処できずにいる人々、対処法を示しても対処する前に自我に負けてしまう人々、その様な現場を多く見てきたことを事実として申し上げます。 犬が自分の尾を自分で追いか

少年院のヨーガ道その1

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心を静めて内声を聴きなさい 朝日新聞に、「いま子どもたちは」という連載が8回にわたり掲載されました。 少年院で生活する20歳のBさんの取材記事です。 記事の中のBさんは、回を重ねる度に変わっていきました。 社会不適応になってしまった少年が更生されていく様子から、ヨーガの心の統制を感じさせられました。 私は以前、死刑囚の方が書いた水墨画を見たことがあります。 一見、モノクロの写真と見間違えたほど、繊細に描写されていました。 驚いたことは、絵の上手さよりも絵の中にある静寂です。 自分の死を待つ人間が、こんなにも落ち着いた心になれるのか。 静かな水墨画に、人間が抱く死への恐怖はなかったのです。 心の中には様々な思いや恐怖の念もあったのではないかと勝手な想像が浮かびました。 「生きて私の神性に気づく」 犯罪を犯してしまいましたが、その後をどう在るかによって、彼はもしかしたらこの一件を機に、仏の道を歩まれて逝ったのかもしれません・・・。 水墨画に投影された心は、本心であったのでしょう。 人間の心は、打撃を通してこそ本性が顕れる。 意識は、いつ何をきっかけに目覚めるかはわかりません。 少年院で暮らすBさんも、その一人であったような気がしています。 以下、記事中の文章を抜粋させて頂きます。 逮捕前夜、Bさんは避けを飲んでいたカラオケ店を抜け出して、仲間と繁華街に繰り出した。たまたま通りがかった中年男性を襲い、けがを負わせた。 現金を奪った。店に支払うお金を持ち合わせていなかった。そんなことを理由に。 「1回ぐらいなら大丈夫だと思った。善悪の判断がつかなかった」。 Bさんは、中学卒業後、建設現場で働きながら通信制高校で学んでいた。まじめに仕事をしていたが、「遊びたい!」という気持ちも抑えられない。 友人や後輩ら数十人と立ち上げたイベントサークルでの活動が、どんどん楽しくなった。一方、仕事場からは足が遠のいていた。 「今日は気分違くね?」 「飲むから、明日は行かなくてよくね?」 そんな言い訳をしては仕事をさぼり、週に2回しか働かないこともあった。 多摩少年院の一室で、暴走を止められなかった自分を振り返るBさん。背筋を伸ばし、両手を太ももの上に置いて椅子に座る姿は、不良少年だったとは思えない。

心の闇を照らすヨーガの道

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自分の手に負えない心 以下、ヨーガ道を歩む生徒様の手記です。 自身の心の不調和を目の当たりにしました。 「ヨーガとは何ですか?」先生からの質問に、私はこのように答えました。 「脳が自動化されているため、ありのままに物事を捉えられないため、客観視を育てるもの」 答えはノーでした。 「すべての魂は一つのところから来ていて、生きとし生けるものすべてが同胞であるにもかかわらず、戦争や殺人で多くの命が奪われている。そうならないように正しくヨーガを学ばせていただき、祈り、すべての魂が一つのところから来ているという意識に還り、同胞を助けていかなければならない。」 先生から、さらに突っ込まれます。 「『魂』という言葉を使いたくないんでしょ」  図星でした。 魂の科学を学ばせていただいているにもかかわらず、私は自分の中で信じているつもりでいて、周りの目を気にして、避けていました。 先生のご指摘と鋭い視線に萎縮し、言葉にできないショックを感じ、涙が出ました。 今でもその時のことを思い返すと、涙が出てきます。 先生はおっしゃいました。 「ヨーガを信じようが信じまいが、どちらを選ぶかではなく、自分の本当の思いと言動を統一することが大切です」 高みに上がろうとする勇気に値しない低次元の意識:先入観や固定観念が、自分の中で調和せず、成長の壁になっていたようです。 その一件以来、正直まだその時の自分の感覚、感情、どうしてそのような先入観や固定観念が植え付けられたのか、じっくり見つめる時間がとれていないのですが、 落胆したり、ふてくされるのではなく、ただ、浮き上がってきた感情や心を観てくださいとアドバイスをいただきました。 先入観については、過去に家族に言われたことや友人の体験談を聞いたことがきっかけだったと思います。 「他者に理解してもらえない」 「変に思われたらいやだ」そういった考えが潜んでいました。 今まで気付かなかったのか、気付いていながら気付かないフリをしていたのかまだわかりませんが、 無意識に持ち続けていた先入観によって、本来の自分で居られないのは、非常にもったいないです。 最初は自分を責めましたが、自分が悪いのではなく、脳が蓄積した他者の意見であることを、冷静に見つめてい

大人のためのスピリチュアル・ドリル

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知識が増えたら、霊性が高まるだろうか? いや、人間の場合は議論と争いのもとになるだけだ。 霊的知識に触れる前に、物質的意識を霊性の性向に傾けなければならない。 なぜだろう? 知識の集積に走るようになり、知識に翻弄されるからだ。 知識は時にエゴの餌になる。 気をつけて学びなさい。 いつでも、動機をよく確かめなさい。 人のためとするなら、知識はあなたの中で智慧の光になるだろう。 知識で人を欺くようになれば、迷いの道に入っていくことになる。 動機をいつでもよく確かめなさい。 瞑想をしたら、霊性が高まるだろうか? それは、あなたの意識がどうあるかだ。 目を閉じていても、想像や妄想にふけっていれば居眠りとかわらない。 動機をいつでもよく確かめなさい。 知識が増えても、瞑想を何時間しても 「自分のため」 こうした心ない者もいるだろう? だから、 動機をいつでもよく確かめなさい。

ヨーガを英語で学ぶ日本人の盲点

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あ~ナンダカよくわからない・・・ 現代のヨーガの学び方は、バリエーション豊富です。 そのうちの一つである海外ヨーガ留学を挙げてみたいと思います。 海外でヨーガ指導の資格取得コースに人気があるようです。 ですが、これには特にヨーガ初心者の方には気づかないであろう盲点がいくつかあります。 海外で、しかも英語でヨーガを学ぶことが適当かどうか、見極める冷静さが必要です。 以下、ご説明していきます。 ヨーガの技法の根幹は、真理によって支えられています。 アーサナ、呼吸法、リラクゼーションといった肉体的なプラクティスでさえ、哲学的要素から構成されています。 この哲学的な解釈に要する知性がそなわっていないままヨーガを学ぼうとすると、 なぜそうするかその意図がわからずボディワークになっていきます。 初めてヨーガを体験した方のご感想に、次のようなものがあります。 なんだかストレッチのようだった。 ゆっくり動いて、じっとしてばかり。 何をしているのかよくわからなかった。 眠ってしまった。 筋トレみたい。 なぜ神聖なヨーガの実習が、このような大雑把な感想になるのでしょう? それは、実践している内容の根本的意味の理解不足と哲学的意味がともなわなはいままポーズだけを実践しているからです。 これは、海外でヨーガを学ぶ中でも起こります。 英語で行われる通訳付きのヨガインストラクター養成コースです。 カリキュラムの中に、ヨーガ哲学が含まれていると思います。 ヨーガの哲学は、本人の精神的な深さ、理解のレベル、心の受け入れ姿勢、霊的知性の段階に合わせて学んでいきます。 哲学は、学ぶことそれ自体が無知に光明をもたらす意識の目覚めにつながっています。 ですから、苦悩に光を指す言葉で内側の深い部分に語られなければ、意識の目覚めの体験にはならないのです。 今聴いている講義がヨーガ哲学であっても、あなにとって真意を理解できない言葉は単なる文字の羅列にすぎず、睡魔をもたらすだけになったはずです。 受け入れる段階に達してない状態で学んでも、やはり同じように睡眠薬となるばかりなのです。 ヨーガの哲学ばかりではありません。 ヨーガは、アーサナ、プラーナーヤーマとい

心を静めなさい

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なぜ、アーサナばかりやるのだろうか? あなたにとって、導師から語られる話しは退屈だろう。 ましてや、ヨーガスートラは尚更のことかもしれない。 いや、そうであろう。 あなたは、第三のアーサナしかやらない。 だが、意識の使い方を知らずにやると自我意識の強化になる。 それを知らずしてやる。 いつまでたっても心が揺れ動くのは、己のヨーガの誤解が原因であろう。 ヨーガの知識(真理、哲学、ヨーガ導師の話し*筆者訳)は、そなたの頭でとても理解できるものではない。 まず、心を一点に集中できるようにならなければならない。 心を静められなければ、アーサナより他の高度なヨーガ(アーサナはヨーガではない*筆者訳)に入ることはできない。 あなたは、アーサナでよけいに心の揺れ動きを強めていることに、まだ気づかないだろうか? 心を一点に集中させよ。 これは、現代人にとっては至難の業だ。 では、どうすればいい? ヨーガを実践しなさい。 ヨーガを実践するには、言葉を超えた不可解なヨーガの体系を、自ら実証した導師を探し、解き明かしてもらわなければならない。 散漫な心(心が混乱している)の者には、ヨーガスートラは見えない。 そんなことはない私は瞑想している、と言うなら今すぐスートラを開いてみるといい。 揺れ動いたままの心が、想像で話しをつくりあげ誤解していくであろう。 経典は、湖面のように心を波立たせなくなった時しか見えてこない。 ヨーガを行じていくならば、始める前に 散漫な心を静めなさい。

突如たちはだかるエゴの壁

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賢者は語る「ヨーガは単なる「自分を変えたい」など遊び半分でできるものではない」 古代に存在していたヨーガの実在を、現代人が知らなさすぎるがための楽観視だ。 あなたに相当の覚悟がなければ、覚悟が持てる時期がくるまで待った方がよいことは明らかだ。 しかし、それもあなたのカルマによるのだが。 カルマの埋め合わせによっては、その時期が訪れない場合もあるだろう。 現代では、「ヨガは体と心、魂を一つにすること」と言われている。 この解釈は、ヨーガを知らない大衆の期待に沿う表現だ。 だが、これを盲信してはヨーガの真実を知るに至らない。 多くの人々が、「ヨガは心と体をつなげていきます」と発表している。 そういう人々には、ヨーガの導師を謙虚に探すことを始めてほしい。 導師でないと、このことは解き明かせないだろう。 エゴは、知ったつもりという仮面を被って心に現れる。 ヨーガの道においては、いかなる時もその仮面を拒否することだ。 ヨーガを始める時のあなたは、まだヨーガを行じてはいない。 つまり、心が曇ったままでヨーガを始めているのだ。 まだ心を浄化する行法をしていない。 一点集中の力を養われていない心も散漫なままだ。 その段階において耳に入ることは、すべて曇ったままの心を通して色づけられる。 導師の存在はあなたの悩みの種になり、真理も誤った解釈になるだろう。 わかるだろうか? 先に述べたように、言葉ひとつとっても、そこにすでに誤認の壁があるのだ。 初心者のうちは、心が散漫なまま初めていかなければならないのだ。 見るもの聞くものすべてが、疑いをもたらす種となる。 そのことをよくふまえて、覚悟して行くがよい。

自分の心を観る

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思いと言葉、行動を統一させること。 これは、ヨーガ実践者の根幹となるものです。 日常的には、思いと言動がズレていることは頻繁にあります。 意志は早く起きようと思っているのに、心はそうしなかったり。 意志はすぐやろうと思ったのに、心は後回しにしてしまったり。 たくさんありますよね? ですが、ヨーガを実践していく場合は、見ないフリをしていられません。 なぜなら、ヨーガの実習は(皆さんにとってはポーズだと思いますが)、ヨーガの本番に向けて、心のコントロールを訓練していく実践です。 自分を心の言いなりに行動させていては、心のコントロールにいざ取り組んでいく時どうにもいかなります。 よし!ヨーガを始めたから、今度は心を支配する側に逆転しよう。 そう思って取り組んでも、心はそうはさせてくれません。 ヨーガを始めるまでは、心の動きと自分を引き離して観ることがなかったため、 すでに心と一体化されてしまっているからです。 心に支配されて行動していた自分を心から引き離していく始めの一歩が、自分の思いと言葉、行動を統一させることなのです。 例えば、あなたが成長を望んでいる方だとします。 ところが、グズグズしてしまう自分もいます。 成長しようとする高い志しの意識と、また今度やればいいや〜という低い意識は調和できません。 高みに上がろうとする自分が本当なのか。 やっぱりでも〜と、一歩を踏み出せない自分が本当の自分なのか? そんな時は、一度 落ち着いて、自分はいったいどちらの思い本当なんだろう? ゆっくり見極めてみて下さい。 大切なのは、どちらを選ぶかではありません。 どちらを選んでも自分自身です。 選ぶことを始めると、人の意見や世間体を気にして選ぶ自分が出てます。 そうではありませんか? 今は、本当の自分はどちらの自分か「ねぇーどう思う?」ではなく、自分で 観る練習です。 思いと言葉、行動を統一することがヨーガの生き方(これ限りではない)です。 そのために、 本当の自分の思いに気づく練習から始めましょう。 人にどう思われるか? ではな

指導者は、必要

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現代人が、この物質豊かな日本社会の中で、ヨーガ修行を する際のヒントを述べてまいります。 大切なことですから、本当のヨーガを学びたい方へ向けて、(まだヨーガが何であるかもお解りでないことは承知しておりますが)ここに述べておきます。 ヨーガ(瞑想)を始めるには、導師が必要です。 現代は、自己流で行う人々も大勢います。 ですが、後になり自分一人では進めないことを切実に感じるはずです。 実践の途中では、幾度となく何らかの壁が立ちはだかるからです。 どうしたら良いか、壁の取り除き方がわからないでしょう。 壁が出てくるまでは、ヨーガ(瞑想)も調子よくできて(自分なりに)いました。 ヨーガ(瞑想)は気持ちいい、なんて素晴らしいんだろう。 こう感じられたかもしれません。 これは、自己流で行っている場合に起こります。 なぜ自己流で行った方が、気持ち良いのでしょう? 律することを自分の肉体と心に与えず、好きなようにやっているからです。 では、滝行みたいに意気込んで厳しくやるのか? いいえ、そんなことはありません。 厳しさと律する間の違いが普通はわかりません。 ですから多くの方が、本道に怖れをなすのです。 さぞ厳しい修行なのではないかと。 これは、ヨーガの中身を知らぬがゆえの先入観です。 さて、気持ち良く取り組んでいたあなたの前に壁が立ちはだかりました。 あなたはとたんに機嫌が悪くなり、悪い思考を生み出し始めます。 これまでのヨーガ(瞑想)の後のように、気持ちよくなれません。 おかしいな?何でだろう…。 あの時のように気持ちよくなりたい。 もう一度。 でも、やってもやってもあの時のような気持ちにはなりません。 やればやるほど、迷いのツボにはまっていきそうになる自分がいます。 いつしか、嫌な自分が出てきて自己嫌悪になってしまいました。 無知さがあらわれ、目の前のことに疑いを生み出すようになるでしょう。 そこではじめて、導師を探し始めるのです。 この流れは、ヨーガ(瞑想)実践者の中で頻繁に起こることです。 ヨーガのガイドラインとして、おぼえておいて下さい。 あなたが、

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真摯に求めること、ここがスタート地点 「抗わず誠実に今ある道から始めなさい」 現代は、進化が加速した時代と言われています。 さとりも覚醒も今生で成就できるといった情報もあるようです。 しかしそれは、霊的進化の過程を本質的に誤解していることになります。 意識の拡大、魂の目覚めといわれるものは、セミナーやワークショップなどの体験や感動、興奮によって起こるものではないからです。  その時は、新しい世界に触れるために自分が変わっていくような錯覚に陥ります。 ですが、セミナーが終わって日常に戻れば、感情的興奮の暗示は解けます。 想像で体験することと、魂をゆさぶる体験は全く質が異なることに気づかなければなりません。 この違いがわからないと、その場の感情的な高揚感から、スピリチュアルな体験をしたと錯覚してしまうことになります。 地上の人間は、一生を通して魂を進化させていきます。 打撃によりエゴが崩壊され、少しずつ魂の知性があらわれ進化を成し遂げていくのです。   魂の成長は、霊的な生き方を日常で実践する意志と努力、それにまつわる困難とその克服、誠実さと引き換えに実現されていきます。 ヨーガ(瞑想)を始めて頂くとおわかりになりますが、あなたの隣には低次のままの心が常にいることになります。 変わりたい心と変わりたくない心、 向上心と諦めようとする心、意識の向上と停滞を行ったり来たりします。 このような葛藤を、幾度となく味わっていかなければなりません。 光へ向かっているはずが闇を見る。 この矛盾したプロセスこそが、進化にまつわる体験なのです。 真理をたずさえて歩んで下さい。 現代は情報が氾濫しているため、独自で ヨーガ(瞑想) を「自分でやってます」という方々が大勢いらっしゃいます。 独断や自己流が勧められず、むしろ危険であると言われている理由は、進化にまつわる苦しみへの手立てと智慧が一般的にはないからです。 その手立てと智慧を、段階に応じて授けてくれる導師の存在が必要です。 頭の理解を超えた ヨーガ(瞑想) のプロセスを、本で読み理解したつもりになった程度で取り組むことはできません。 ここに書いてきたことが理解できないとしたら、瞑想やヨーガをやっていたというそれは、や

インドの叡智・ヨーガが導くサマトワヨグ

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聖師チダナンダ大師様 聖師チダナンダ大師様は仰います。 もしもあなたが、 心の中に湧き上ってくる無数の思いや想像で生み出したものに対し、 あたかも現実であるかのように反応さえしなければ、 私たちは貴い究極の調和(サマトワ)そのものでいられるのです。 サマトワは、バランス、ハーモニーという調和を超えた調和であり、 人間の理解力を超えるほどの究極存在がお持ちの調和です。 それは、すべての人間の内に存在しています。 この大いなる調和を、正しいやり方で他の人々と共有してゆこうとすることは、 ヨーガや瞑想を心がける神性な実践をする人々にとって、 最も大切なこととされています。 真理を実践する生き方を心がけ、 「自分だけ」という利己心のない人々にとっては、 この世界全体の平和を願って祈るように努め、 すべての人々の心と魂が調和の境地(サマトワヨグ)にあるようにと 自然にされなければならないのです。 しかし人間は、 そうした調和をどこで見つけ出したらよいか分らぬままに、 偽政者たちのサミット会議の中でとか、 数々の条約や契約の中に見出そうとしています。 しかし、真の調和というものは、 その調和に至る鍵を知り、使いこなさない限り、生じてはこないのです。 ですから、もしもあなたの心が 内なる神性に気づき、 その神性からわきでる思いやりを、 親切さを、善き心を、バランスを、幸運を、光を、 神様そのものをあなたが受け入れてゆけば、 他の人々に伝え、手渡すことも可能になるのです。 こうした伝導の行いは、決して偉大な宗教家のみが行うことではなく、 人間ならば誰でもが生まれながらにしてできることなのです。 なぜなら、どんな人でも心の内側に その究極の調和(サマトワ)を持ち合わせているからです。 あなたは神様による調和そのものです。 果たすべき役割を負わされているのです。 神様による調和(サマトワ)を伝え広める役割を、あなたも負わされているのです。 どうか、この神様による調和(サマトワ)を伝え広めるような人生を送って下さい。 AUM TAT SAT 聖音アウンは 真実在なる神である

40歳からの大人のヨーガ道

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人生酸いも甘いも知ってたどり着く静寂の心 人生、酸いも甘いも経験してきました。 どんなに夢みても、叶わないこともあると知りました。 引き寄せの法則も、やってみたけど私のところにはきませんでした。 ミドルエイジの年代になり、魂のことを学んでみたいと思うようになりました。 人生の折り返し地点にきて、社会的にも私生活でもまずまずの物は手にしました。 でも…何かが足りない気がするのです。 それは、私にそう感じるのです。 そう、私には生きる智慧がないことに気づきました。 内面からにじみ出るものがないことに気づきました。 若い子は、若さと言う輝きがあります。 でも・・・ 私、このまま年を重ねていってよいのでしょうか? ヨーガは、自分と向き合うことだと聞きます。 でも、なんだか・・・若い子ばかり。 屋外で遊びがてらヨガをするんですか? 私はついていけなそうな気がします。 ファッションでやってるような世界は、もういいんです。 これからは、正道を求めたいと思います。 若いころはとにかく楽になりたかった。 皆がしていることに安心した。 覚醒を目指したり、あれこれスピリチュアルなことも齧ってみたけ。 でも、あまり変わらなかった。 いろんな自己啓発セミナーも行ったし、潜在意識を浄化するワークショップみたいのも。 生まれ変わるためのスピリチュアルの合宿にだって行ってみた。 でも、寝泊まりしてまで自分を変えようと頑張っても、変わらなかった。 いったい私の何がいけなかったんだろう・・・ 瞑想したくてヨガをやってみたけれど、ポーズばかりなんですね⁉︎ どうみても私より年下の若い先生ばかり。 ヨーガは、体の歪みの矯正、骨盤矯正なのでしょうか? 私はヨーガのことはまだわかりませんが、何だか主旨が違う様な気がします。 私の人生のことを、彼女たちに質問しても果たしてわかってもらえるのでしょうか? 私の骨盤が矯正されたら、その後私の心と体、魂はどうなるか、彼女たちにわかるのでしょうか? このような考えをお持ちのミドルエイジの方は、現代社会には少なくないのではないかと拝察します。 現代は情報ばか

誰にでも訪れる最期のために

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この先は、知れば怖くない 魂の勉強会はスピリチュアルが氾濫した現代で、真面目に霊的成長を望む方が学ぶ場です。 今回の勉強会は、1本のドキュメンタリー映画の上映から始めてまいります。 高度経済成長期に熱血営業マンとして駆け抜けたサラリーマン。 ガンという、ふいに訪れた人生の誤算をきっかけに彼が手がけた最後のプロジェクトは 「自らの死の段取り」だった。 故人となれらた映画の主人公、熱血サラリーマンは画面の中でこう語っています。 「自分の人生をきちんとデッサンしておかないと。。。。」 死の間際で、果たして自分はこう思えるだろうか? 誰もが、このように考えさせられる映画です。 死という重いテーマですが、とても温かい気持ちになる不思議な作品です。 まだご覧になっていない多くの方に、この映画をご覧になって頂きたいと思います。 今回の勉強会のテーマに、興味はあるし参加してみたい、けれど小さな怖れのような気持ちを抱いている方は少なくありません。 よくわかります。 皆、そうだと思います。 ですが、まぎれもなく私もあなたもその日を迎えます。 だからと言って、受けとめよではないのです。 知らない怖いばかりで、いきなりその日を迎えたら一体どうしたらよいでしょうか? ですから、生きているうちにきちんと学んでおくのです。 恐怖感から学ぶのではなく、死は生まれていくことなのだと、 私たち皆が、まぎれもなく母親の産道を通ってきたように。 そんな風に学んでみませんか? ヨーガは人間の死に対する恐怖心に、このように語っています。 死の意味を知らないからだと。 人間の心は、知らないものには恐怖感をおぼえるのだそうです。 これ以上は語りませんが、ご興味のある方にお越し頂ければ幸いに思います。 魂の勉強会を再び開催できることに感謝します。 よろしくお願いします。 エンディングノート公式ホームページ様

ヨーガを始める前のヨーガ入門

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静かに座れる心と体をつくりましょう。 ヨーガをお始めになる方へ。 エクササイズやストレッチではないヨーガをしたくはありませんか? すでに実践している方へ。 自己流を一度リセットして、ヨーガの哲学的理解を得て再出発したくはないですか? サマトワヨーガの実践講座は、そんなあなたの問題に対応しています。 本やDVDが、あなたの導師の代わりを務めることはできません。 ヨーガにおける成長を果たすには、個人指導が何より大切であって、あなたの心と体に適した方法を、段階に合わせて実行しながら進歩していくことが大切なのです。 ですからお部屋で一人、ヨガマットの上でなんとな〜くポーズをとっているより、指導者を訪ねた方が確実です。 与えて下さるポーズ一つに、深い意味とはからいを持って、あなたに指導して下さることでしょう。 さて、ヨーガがストレス解消や心身の健康に良い事は、すでにご存じだと思います。 ですが、それがなぜ、どうやって心に効くのか、どうやって体が開かれ物事を受け入れる自分自身になっていくのか、わかりますか? どんな学びもそうですが、 ヨーガは基本がとても大切 なのです 。 基本をしっかり押さえて、はじめてヨーガを行う意味がわかってきます。 なぜあなたはヨーガを行うか、動機が明らかになります。 また、確かな成長の道を歩んでいる自分自身に疑いがなくなるので、成果が実るのです。 ヨーガ実践者の皆様に、ヨーガを単なるポーズで終わらせないための秘訣をお伝えします。 ヨーガの心の科学を深く掘り下げ、 その裏にある哲学が実践にどのような意味を与えているのか、この点を理解して実践すること です。 ヨーガでご自身の成長を望む方は、以下のことをきちんと押さえて下さい。 まずはじめに、ヨーガのアーサナや呼吸法、リラクゼーションといった 各種技法に秘められた哲学的意味 を学びます。 それにより、ご自身のヨーガに対する理解の範囲を、ヨーガの真髄に向けて広げていくことができます。 ヨーガの実践において重要なことは、 理論的知識をたずさえていること です。 ヨーガ全体の目的とその大切な教義を、 根本的なところから理解して行うこと で、あなたが実践するヨーガ

現代人のためのヨーガ

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伝統的なヨーガは、現代人には理解しにくいという点があります。 その理由は、真理はシンボルなど象徴的な中に隠されているからです。 ヨーガも然り。 深遠なヨーガは洞察されることなく、現代のヨーガは誰にでもわかりやすい肉体へのアプローチに偏らざるをえません。 とはいえ、肉体や心の状態を無視して、潜在能力の開発だけで真我へ至ろうとすることも得策とは言えません。 なぜなら、人間は精神と肉体、魂が合体した霊的存在だからです。  人間が霊的成長をはかる時は、肉体と内面の両方を全体的にとらえて開発していく必要があります。 ところが、現代人のスピリチュアルは、肉体か内面的のどちらか一方に偏る特徴があります。 この盲点に着眼して、現代人の霊的成長のために生まれてのがサマトワヨーガです。  現代人は、目まぐるしい情報化社会におかれています。 多様な価値観がある中、いつしか他人の意見を気にて生きるようになりました。 そうした中で人々は心の平安を求め、精神世界の人気が高まるようになりました。 現在は、多様にスピリチュアルな情報が氾濫しています。 ヨーガに人気が集まる理由も、多くの人々が苦しみの中で内なる声に突き動かされてのことだったのではないでしょうか。 多くの人々の解決の一助となるはずのヨーガでした。 ところが、ヨーガを始めてすぐさま体験する壁があります。 それは、古代の思想を頭で理解できないことから生じる疑心や頑迷。 現代生活に適用させる難しさに、誰もが戸惑いを感じるようです。  ヨーガの技法と哲学の背景に秘められた智慧を洞察するには、物質的意識優位の現代人には至難の業とも言えるでしょう。 そうした理由から、深遠なヨーガは欧米化されたボデイワークへと変化していきました。 物質世界で生きる人間は物質的意識が優勢なため、肉体を使った方が納得しやすいという特質があります。 肉体を使うポーズは、充実感や満足感を得やすいため、人々はポーズがヨーガだと思うようになりました。  ところが、ヨーガだと思っていたポーズをいくらやっても、その場限りで、家に戻れば満たされていない心に気づきます。 そうした状態でポーズをやればやるほど、心の平安から遠のくことを経験するようになります。 そしていつしか、

ヨーガ実践基礎講座

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ヨーガ=聖なる科学 4月開講の新講座 【ヨーガ基礎講座】 伝統的なヨーガは、理解しにくいという難点があるため、誰にでもわかりやすいポーズをヨーガだと思いこんでしまうようです。 とはいえ、肉体や心の状態を考えず、潜在能力の開発だけで真我へ至ろうとすることもあまり得策とは言えません。 なぜなら、 人間は精神と肉体、魂が一体となった存在だからです。 ですから、霊的成長をはかる時は肉体と内面の両方を、全体的にとらえて開発していく必要があります。 ところが、 現代人のスピリチュアルは、肉体か内面的かの一方に偏る特徴があります。 人間の場合は、それではならないのです。 潜在的な力の開発に努力したとしても、意識のあり方によっては物質的意識に偏る結果になります。 こうした盲点に着眼して、物質的意識が発達して霊的意識が鈍感になりがちな現代人の霊的成長のために編み出されたのがサマトワヨーガです。 肉体と魂といった両極をバランスよく調和させ、霊主肉従の意識へと高めていきます。 伝統的なヨーガは、 自ら実践してみることでこそ、いちばん深いところにある感情やもっと高い意識に到達できるように設計されています。 ですから、ヨーガを実践する方は先ずはじめに、本講座で確かな知識を理性的に理解することからお始め下さい。 現代人にも受け入れやすい解説付きで、自ら実践していけるように、生徒数わずか4名という環境でヨーガの指導者から直接教えを受けることができます。 ヨーガは、一般生活の中でも、庵にこもらずとも 心を清め、精神的な面から健康的にして意識を高上させていく霊的成長を実現します。 【ヨーガの特徴】 ・健康的な心のバランスのためのプラクティスであり、内なる怒りを解放するための実践であり、心の 純化と霊性の深化にフォーカスしています。 ・すべての実習が瞑想の実践に向かっています。 ・ハタヨーガにおいては、心身の調和をはかる意識の用い方の手法でなされ、肉体の健康以上に、浄化の促進と意識の向上、エネルギーの活性と意識化の訓練として行われます。 ・人間の意識を高次元の真理に向かって解放していきます。