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ヨーガ入門講座で身につけた心を整える習慣

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変動が激しい今だからこそ、ぶれない軸を持ち、情報にもふりまわされない智慧と強い心を育んでおくことが大切です。  ヨーガは、そのツールなのです。 私自身のヨーガの道は、雑誌に出てくるような華やかな女性の癒しの世界とは違っていました。  憧れでは済まない浄化の裏にひそむ影の部分。 成長と変化の節目節目で味わう挫折や苦悩。 普通の人なら心が折れてしまうような大変な出来事。  それらを乗り越えて、今サマトワヨグ教室があります。  「謙虚さを持ち自分を磨く」 自らの体験に基づき贈る、折れない心をつくる ヨーガ入門講座 でその方法をお教えしています。 おかげさまで、5月29日すべての課程を6名のパートナー(生徒様)が無事終了いたしました。 約3ヶ月かけ今日まで一緒に学んできました。 『見えない力に感謝して今後も謙虚に思いやりの気持ちを持って学ばせていただきたいと思います』。 『この入門講座を通して、相手に対して謙虚さ・思いやりをもつこと、自分の身体は神の道具になるものなので使い方を改めることに気づかされました』。 『この度は、入門講座を受講させて頂き、誠にありがとうございました。いつか、それが死ぬ間際でも来世であっても、神性が性格に顕れ、きちんと自分の使命を見つけて果たせる人間になれますよう、今回学んだ10の智慧を一歩一歩着実に取り組みます。それが、魂が望んでいることだと思います』。 『今の自分にできることを少しずつ確実にやらせていただきたいと思います。社会で役に立てるように様々なことから気付きをいただき、勉強していきます。いつもご指導ありがとうございます』。 『これからヨーガの道を歩む方がいて下さったおかげで初心を思い出させていただき、先にヨーガの道を歩まれた方がいて下さったおかげで、これから目指すべき佇まいや心を学ばせていただきたいと思います』。 教室にいらしたばかりの頃は、誰もが正座に苦労します。 ところが、だんだんと変化していくのです。 心が整えば体は整います。 しだいに正座が自然になり、その方が気持ちよくなります。

聖なるヨーガへ続く道

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今日、お寺の正門から教室まで続く道がまるで花道のようでした。 生徒の皆様の真摯なお気持ちが神様に通じたのでしょうか⁉︎ これからヨーガの道を歩むパートナー(生徒さんたち)に、道が開かれたように見えました。 神様は、白い花を散らして手招きして下さってるのでしょう。 聖なる領域へ続く道へ。 パートナーの皆は、この白い花道に導かれ、教室へ入っていらっしゃいます。 なんて美しいのでしょう。 ヨーガの道は神様を信じる心と感謝です。 美しい心を育てていきましょうね。 あらあら。 まぁ。 迷彩柄と化したお寺のネコも見守っているそうです。

生きるためにヨーガ

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人は時に生きづらさを強く感じることがあります。 それは、私たちが人間でありながら人間がどのような存在であるかを知らずに生きているからです。 人間には、心と体がそなわっています。 これは、人間を生きるための道具です。 人間はただ食べて寝て、働いて自動的に生きる生物ではないのです。 この道具の扱い方を知り、その上で意識的に使っていかなければ逆に道具にふりまわされるようになってしまうのです。 しかし、私たちの意識は常に過去か未来、他人のことや外で起こることに簡単にとらわれています。 心と体、呼吸に無意識であるから道具に自分を操作されてしまうのです。 心も体も、呼吸も本来は私たちがコントロールしなければならない機能です。 何のために?  内なる神性を自己に現すことを実現するためにです。 繰り返す心と体の悩みから解放され、神聖な自己を人間性に実現していくために。 人間は進化の度合いにより、どのように生きるべきかを学び真理を学びます。 そしてついには 何のために自分は生きるのか? その答えを見つけるのです。

心のけがれを落とす思いやりと感謝

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 今日、ヨーガは世界中に知れわたりました。 人類規模で広がったヨーガを思うと、ヨーガそれ自体に「意志」があり人々の意識にのぼってきたのではないでしょうか? なぜなら、人間が意識を目覚めさせていくには方法と実践がなければならないからです。 いくら本を読んで共感しても、「それで私が変わることはなかった」 この誰もが経験する「変わらなかった症候群」。 現代人は、結論を出すのが早すぎます。 人間のスピリチャルな変化、進化、浄化には時を要することを理解しなければなりません。 混沌とした時代に生まれた現代人に、心と体、魂に関して源泉の知識をもつヨーガが必要ではないでしょうか。  ヨーガは別名、実践の科学と言われます。 実践と行動が人間を変えていくのです。 あなたの口から出る言葉、あなたが考える思考、あなたが表現する身ぶり手ぶり。 これらが変わっていかなければ、心と体は変化していかないのです。 現代はあらゆるボディワークが盛んです。 しかし、ワークショップなどで体験したあの体感を、日常的にキープしていられないと感じている方は少なくないと思います。 結局、戻ってしまう。 人間の肉体は感情の貯蔵庫です。 体に染みついた古い記憶を解放していくには、ボディワークだけでは多大な時間を費やすことになります。 人間の体は心とつながっています。 同時に心も、さらに的確に言えば心の方から高めていかなければならないのです。 人間は心と体、意識、知性、精神、エネルギー、魂といった様々な要素から構成されています。 心と体、知性を包括的に目覚めさせていくことが、魂から自分を変えていくことです。 人間は、どこまでも意識を発達できる高度な精神的存在です。 ですから、精神を高めなければ霊的に進化することはないのです。 変わるために必死に頑張ると、よけいに我の力が強くなってしまいます。 思いやりと感謝の心を育てて下さい。 思いやりから考え、思いやりから言葉を発し、思いやりから体を動かす。 一瞬一瞬を意識して自分から思いやりを発するからこそ、あなたのオーラがゆるぎのない清らかさを放っていくようになるのです。

瞑想

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瞑想することの何よりの喜びは、精神性が広がることです。 物質的であった意識が内側の精神へ向かい、固定観念がほどけて自然に心身の癖が修正され、人間本来の思いやりを取り戻す復元の作業が行われます。 内面が変わるからこそ、心と体のバランスが取れ、ストレスを受けない寛大な精神と不動の体がそなわった人間に生まれ変わるのです。 人は瞑想を通して神聖なエネルギーと交流することでこそ、心が真に浄化されていきます。 自己の神聖さが不安な心やイライラした気持ちを許し、他者を責めてしまう心を癒すのです。

新しい入門講座始まりました。

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5月15日、ヨーガ入門講座の6月コースが始まりました。 現在受講中だけれども心新たにして再受講の方、名古屋からご参加の方、現在受講中の方のご友人の方の3名様でスタートしました。 教室を開催させて頂いているお寺の境内には、お花の香りが芳しく漂っています。 お寺は物質世界とは異なる空間です。 ヨーガの実践にふさわしい聖なる空間です。 ビルの中にあるスタジオは、物質的要素が強くヨーガには向きません。 弊教室の生徒様はみな幸運です。 物質世界と結界をはられたお寺の中でヨーガを学び実践できるのです。 この他にも善い理由はまだまだあります。 ヨーガが見えてくるにつれ、理由がわかるようになりますよ。 入門講座を始める前、簡素ではありますが儀式を行ない、お花とお菓子をお供えしました。 教室は、生徒様が神様に捧げたお花で彩られています。 ヨーガは信じることから始まります。 目に見えない御力を。

ヨーガがもたらす女性の情緒不安定⁈

当教室に、ホットヨガスタジオにお勤めの生徒様がいらっしゃいます。 スタジオにいらっしゃるお客様について教えて頂きました。 「50代の女性のお客様なのですが、長年ヨガを続けていてもイライラしたり感情が出てしまうと話していらっしゃいました」。 感情が出てしまう。つまりこれは、感情に支配されているということです。 その50代の方の症状は、肉体だけからヨーガを行い続けてきた 結果にみられる精神状態です。 本来のヨーガの手法(ヨーガスートラ)を指導者のもと理解して実践していれば、感情をコントロールできるようになるはずです。 しかし、精神面を訓練せず肉体ばかりに凝り固まってしまうと、人間と心の関係の立場が逆転します。 人間が心や感情に支配されるようになってしまう肉主霊従の耐えがたい結果です。 その50代の女性は、ヨーガの目的とするところとまったく正反対の結果となってしまった様です。 こちらの女性にかぎらず、同じような精神状態の方は少なくないと思います。 誤った解釈によるヨガのやり方で、生理不順や情緒不安といった女性特有の悩みを抱えていらっしゃる方も考えられます。 本来ヨーガは、はじめは肉体から入ったとしても、必ず精神面への成長アプローチをうながし、智慧の学びを同時に進めていきます。 このように包括的に学ばずポーズだけをヨーガとして行った場合、精神面が発達せず筋肉だけを肥大化し続けることになります。 これでは激しいエクササイズと同じです。 プロのスポーツ選手は、肉体を激しく動かしても精神のメンテナンスをきちんと行っています。 ところが、一般人の運動の範疇においては、精神面までを考慮した肉体運動はあまり意識されていない様です。 ポーズを行い肉体だけを酷使し続けると、感情が激しくなったり、どこまでもポーズを追及するようになったり、異様に肉体に執着する方が多いのです。 そればかりでなく、人の気持ちがわからなかったり、思いやりの配慮に欠けていくこともあります。 マットの場所取り。 定位置を陣取る。 自分勝手なレッスンの途中入退場。 シャワールームを我先に使う。 ロッカールームの乱雑さ。 紛失盗難。 このような事態は、少なくないのではないでしょうか? ホットヨガやパワーヨガ

本当は泣きたかった

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何がどうなって、何が原因で涙が溢れてしまうのか。 人間が知る由もありません。 夜のヨーガクラスに参加して下さった三名の生徒さん。 ロウソクの灯りの中みなでお祈りしていた時、叱られた後に許してもらった子供のように泣いてしまいました。 実は最近、教室には生徒さんがお供えして下さったお花でいっぱいなのです。 この教室を守って下さる神様が、「やっと私のところに来てくれたか」と、ヨシヨシしてくれたのかもしれません。 人は大きな優しさを感じるほど、なぜか泣けてしまいますものね。 三人揃って、目をウサギの様に真っ赤にしてお帰りになりました。 肉体からヨーガを行う時は、心の力を抜き、姿勢を整え、肉体を本来の調和した状態に戻すのです。 頭寒足熱です。 脚は心を支えるために根を張るように立ち、胸から上は力を抜いて自然に伸びていくように。 ヨーガの神聖な時間に心身をおき、 それまでいた俗世間から自分を引き離していきます。 他人を気にしていた自分を楽にさせてあげて下さい。 正しい姿勢で肉体を静かに座らせてあげましょう。 あなたは、真心から合掌をしたことありますか? 張り詰めていた我の力を、たった一本でもいいからゆるめてみて下さい。 河の流れをせき止めていた石をどけた時の様に、一気に流れが大海原に向かって流れていく様に、 我の力に抑えつけられていた心が広がって、安堵の想いから 泣くのです。 我が抜けて、縛られていた力が抜けて嬉しいから。 魂が。 魂が顔を出すと、今まで忘れていた大切なことを思い出します。 本当は、もっと人に優しく生きたかった。 もっと、ありがとうと言えたらよかった。 素直に「はい」と言えたらよかった。 ごめんなさいと言えたらよかった。 もういいよと、許し合えればよかった。 我に抑えつけられていた心は、やっと楽になれて泣くのです。 我の力が抜ければ抜けるほど、人はこれまでの自分の生き方を省みるようになります。 そして、改心していこうと心の底から誓うことができるのです。

ポーズからつくられる性格

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弊教室では、ヨーガの生徒が実習に入る時は、上座に向かい深礼をして静かに入室します。 ここからすでに、心の訓練であるヨーガは始まっています。 ガヤガヤやって来て急に目を閉じても、心が大人しく言うことをきくはずがないのです。 心は急には変われません。 ですから、教室に入る前から気持ちの準備をしておかれるとよいのです。 教室はお寺の境内にあります。 生徒の方は皆、タンクトップや短パンなど肌を露出した軽装は控えます。 神の学問を学ぶにふさわしい心と態度を身につけることが、ヨーガ初心者のはじめの一歩です。 厳しく聞こえるかもしれませんが、神様の教えを学ぶ態度をそなえた人間のところにこそ、天から教えは下りてくるのです。 ご存じなかった方は、今からでも心を入れ替え謙虚さから身につけて下さい。 さて、あなたは普段どのようにポーズを実習していますか? つまり、どのように身体を動かしていますか? 心と身体はつながっていると言われてることは、すでにご存じだと思います。 そうであれば、心は身体の動きのとおりに形成されていくことは理解できると思います。 つまり、 野蛮に激しく動けば、感情的になりエゴが強くなります。 ゆっくり落ち着いて動けば、冷静さと穏やかさが人格にそなわります。 私たちは、ヨーガの身体の科学を利用して、内側に眠っている神性を目覚めさせていくことができるのです。 ですが、心の使い方を教わらずポーズのやり方ばかりを習っても、内側が目覚めることはありません。 太陽礼拝は全身運動ではなく、 全身を使って祈るためのものです。 12の太陽神に肉体を通して祈りの心を表現します。 このような心で肉体を動かすから、エゴの力が柔らいでいくのです。 間違っても、しっちゃかめっちゃか汗を飛び散らかして動かれませんように。 痩せるため、血行を良くするためといった個人的な思いからヨーガの動きをしていては、心は神性どころかどんどん物質的になっていきます。 そうした方のもとに、心の安らぎが訪れることはありません。 もっと動かなきゃ、もっと痩せなきゃ

あなたにもある内なる声の導き

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私が今生でヨーガと出会ったきっかけは母の癌でした。 当時の私は、14年間続けたフリーランスの仕事を辞め、フランスにいました。きっとここで誰かと出会い、結婚して暮らしていくのだろうと予感していました。 本当にそうなる矢先、母の緊急手術を機に日本に戻らざるをえなくなりました。 手遅れ状態で癌が発見された母でしたが、術後ヨーガとともに見事に復活した姿を見せてくれました。 今ももちろん健在です。 フリーランスの仕事を辞める辺りから、私にはある考えがありました。それは、 「体だけではなく、魂から心身ともに再生していける方法はないだろうか」。 そんな中で出会ったのが、ヨーガの思想でした。 ヨーガを手にした時の衝撃は、今でも忘れられません。 自分のセンターに落雷が落ちたかのようでした。 それから私の人生に、ヨーガが隙間なく入ってきたのです。 ヨーガを伝え教える人になりたいと思いました。ですが、心というものは自分を肯定的には捉えてくれないものです。 本当の想いと頭の考えが一致せず、何度も葛藤がありました。 そして、私が実際にその想いを実現するまでには様々な人生を歩まなければならなかったのです。 私は、派遣制度を利用して働きながらヨーガを実践していました。 ヨガスタジオに通うお金はありません。 ですから、現在の皆さんの様に簡単にTTCに入って資格を取得していける道ではなかったのです。 当時私が働いていた頃は、派遣制度に対して人々の認識は今ほどになく、その難しさもひとりで抱えていくしかありませんでした。 日々パソコンで仕事を検索する自分にウンザリしていました。自分のやりたいことや好きな仕事内容で選ぶことなど到底できません。 自分の狭い適性と先方の条件で選ぶ仕事には、何の面白みも感じません。働くことも夢が現実になっていかないことにも、嫌気がさしていました。 「いったいいつまでこんな生活を続けるんだろう?」 検索に集中しすぎて頭が疲れ果て、思考力も限界に達し吐息とともに体の力を一気に抜いたその時でした。 ある気づきが私の内側に「ハッ‼︎」と起きました。 そ の気づきの威厳さに、私は崩れた姿勢を戻して背筋をのばしたほどです。 その声は、内神様といわれる神様からの様でした。  「ど

魂の癒しフジコ・ヘミングさんのピアノ

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半年前からずっと今日の日を待っていました。 今日は、フジコ・ヘミングさんのピアノソロリサイタルでした。 フジコさんのピアノの音に、この体はいつも反応します。 微細なヴァイブレーション。 コンサートホールには、フジコさんのピアノを愛してやまない人々が沢山いました。 私もその一人。 有名人で誰に会いたいか?と言われたら、もう絶対、フジコ・ヘミングさん。 でも、あまりに憧れすぎて遠くから見ているだけで幸せです。 初めてフジコさんのコンサートに行ったのは、今から10年以上も前のこと。 赤坂のサントリーホールでした。 あまりの感動で、コンサート終了後全ての観客が退出しても、私は椅子から立ち上がることができなかった。 激しい旋律でも、こちら側には力を感じさせないフジコさんの抜け感が好き。 舞台袖から登場してくる時のあの歩き方も。 本当に、生きてこの音を聞けて良かったと思う。 来月は、オーケストラとフジコさんの競演コンサートでまた会える。 嬉しい。

信じる?

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神様へたどり着く道に入る者には、ある条件がそなわっているかテストされるのだという。 さて、その条件とは? あなたは何だと思いますか? 今夜の入門講座は、はじめにこの質問から始まりました。 答えは、今上映中のシンデレラの中にあります。 あなたは、 愛〜(神)を信じてる?

本当の魔法は、あなたの勇気。

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連休に遊びにきていた姪っ子ちゃんと、上映中のディズニー映画「シンデレラ」を観に行ってきました。 姪っ子ちゃんと並んで観ていた大人の私は、号泣でした。 なぜって、 映画の中に真理がたくさん隠されているからです。 本当の魔法は、むずかしくない。 けれど、人間はむずかしい知識をころがしたがり、 肉体を酷使して修行したがるのですが・・・ 本当に神様が、人間にそのようなことを望んでいらっしゃるでしょうか? と、思います。 本当の魔法は、思いやりなのに。 でも、それが一番むずかしいってわかるから 人間はそれに気づかないふりをしてしまうのかもしれません。 貴女は、この映画の中の そして、歌詞の中にある 魔法を見抜けたでしょうか? 私たちの光は、あなたの内側にある。 そしてその扉の鍵は、 愛と勇気と、思いやり。 その光を信じること。 涙あふれても勇気(魂)が導き つまづく時にも勇気(神)が導き いつか必ず出会う私の(内なる)光 愛(神)を信じてる

本当に知っておくべき大切なこととは?

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ヨーガの成長過程においては、成長と変化にまつわる難題や壁というステップがあります。 初心者特有の最初の壁である眠気、集中できない、怠惰、続かない、飽きる、わかったつもりになるなど、各段階において乗り越えなければならない壁があります。 それを克服する時に必要なものは、正しい智慧と、解ったつもりから正しい理解へ軌道修正してくれる存在なのです。 ヨーガを実践していくと、これまでに経験したことのない、またどうしてよいかわからない感情や思考に直面しなければなりません。 疑問が浮かんでもそれに答えてくれる人がいなければ、わからないままになってしまうか、想像で理解しておくしかないでしょう。 この疑問や感情を正しく理解することができないと、成長していくことを途中で放り出してしまう可能性が出てきます。 私はこのままでいい。 もとのままで変わらなくていい。 私は自分のことより〜が大事。 あるいは、なぜヨーガをやるのか疑問を持ち始めたり、心がぶれて考えがあちこちに飛んでしまったり、自分の短所を抑えきれなくなったり、心が向上するはずがエゴが強く表れたりします。 これは特別な事ではないのです。 成長と変化の過程においては必ずあることです。 自分の心と向き合うということには、常に難題がつきまといます。 心がどういうものかを知っている人は、心の世界の道を何年も根気強く歩み、人間の複雑な心を理解し、解放する努力を自ら続けてきた人です。 ヨーガ(瞑想、あるいは自己をさとる)の道は長い旅のようなものです。 ヨーガの教えを自分に取り入れていくと、単なる「変わりたい」という感情だけでは太刀打ちできないことにやがて気づくことになります。 勝手な想像がはたらいて、自分は変わったと思うかもしれません。 すぐに解ったつもりになってしまうかもしれませんが、実はそう思うことこそが、その道はあなたにとってまだ始まっていないのですよという意味です。 だからこそ、有頂天にならないように導いてくれる人とヨーガの知識の勉強が常に欠かせないのです。 指導者はあなたが進むべき道へと導き、困難があることを先に知らせてくれます。 暴走している時には、取り組み方を調整してくれます。 また、生徒の心を映す鏡の役も果たしてくれます。