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5月, 2016の投稿を表示しています

知恵の道

心の傷を癒すためには、 まず自分にそれがあることに 気づかなければなりません。 ここを誤解している人が少なくないので、 説明したいと思います。 気づくということとは、 その傷の原因となった経験を または原因となったであろう人物を 好きになることでも 相手の言動に同意することでもないのです。 では、 気づこうとすると なぜ人は苦しくなるのでしょうか? それは、 感情を介入させてしまうからです。 感情と一緒に心の痛みや傷を思い返すと、 あの時の痛みを今に復元してくるはずです。 まず、このシステムに気づかなければ 過去を思い出す度に苦しむばかりです。 一向に癒しのプロセスに向かっていけないのです。 では、どうしたらよいのでしょうか? もしあなたが今 センシティブ・ヨガをレッスンしている方ならそれ を利用して 心と肉体を引き離しなさい。 心の働きも体の動きも 客観視できるように練習するのです。 センシティブ・ヨガの神経エクササイズはそのための手段です。 しかし、 アーサナのやり方を誤ってエクササイズ化し、 心と体をつなぎとめすぎると 感情に飲み込まれる状態が増していきます。 感情的になってきていませんか? 人から何か言われるとすぐ泣いたり イライラしたり落ち込んだり そんな覚えがあるようなら あなたのヨーガのレッスンを見直して下さい。 ヨーガとは、 肉体に束縛された魂の次元から抜け出し 肉体を持ちながらも 精神を高めていく人生に向かっていくことなのです。 そのために、 「私は変わらなければならない」 「成長しなければならない」 のではなくて、 「癒されなければならない」のです。 種があるから実りがある。 ヨーガでは、カルマの再生と表現され ホ・オポノポノでは記憶の再生と表現されています。 新しい肉体を魂にまとった時点で 私たちは自分の過去世を忘れて生まれてきます。 ですから、 種が時期を迎え実りとなった時 また同じ苦しみを追憶しているばかりです。 「人は同じことを繰り返す」 という言葉がありますよね。 ところが、 ヨーガで自分を整えておけば 癒しのためにその種が実った時 癒しのチャンスが訪れます。 センシティブ・ヨガになぜ心と体を日頃から整えておく心得があるかと言えば、 自分に対する優しさ、 忍耐や 受け入れることを育んでおけば 今世で再生された過去の経験を 今回は違った目

ヨーガのギフト

ここ数年間、 私は何百人もの方々と ヨーガを通じて心の癒しに取り組んできましたが、 これまでの様々な経験のおかげで、 心の傷と体の関係 なぜ人はくるしむのかについて ヨーガを通じて探求することができたように思います。 30代最後の歳にヨガ業界を退きましたが、 あのままスタジオインストラクターを続けていた限りでは 決して知ることのできなかった 癒しの技法に取り組み 訓練されてきたのだろうと やっと本当の意味で今日までの人生を理解できたように思います。 それは、 名もないスクールも持たない養成講座でした。 講師は宇宙。 カリキュラムは人生に現れる出来事でした。 これまで共に心の癒しに取り組んできた多くの魂に 私は今 心の底より感謝申し上げます。 スタジオという限られたスペースではない場所で ヨーガを目の前の方に教えてきたこの数年間。 スタジオの中では決して明かすことのできないであろう 心の痛みを言葉にして下さった方々との出会い。 そうした日々の中であったから、 私はこのヨーガを発見することができたのだと 感謝の気持ちしかありません。 今後は、このヨーガを 多くの人々と共有していくことを考えています。 これから少しずつ進めていくことになりますが、 人とのご縁を大切にしながら 形にしてまいりたいと思います。 そんな意味深い過去であったと気づかせて下さったのも やはりヨーガを学んで下さる生徒様でした。 指導者の養成講座にご興味を持って下さり、 受講を希望して下さった生徒様から こんなご質問を頂きました。 ・指導者になる予定はないけれどヨーガを深く学びたい ・心のことがもっと知りたい ・人間のことを深く知りたい ・精神世界を学び実生活に役立てたいetc... 私がインドで伝統的ヨーガを学んでいた時もそうでした。 インストラクターになるためではなく自分のために学ぶ。 生き方を学ぶ、心について学ぶ、 内面の世界を学ぶ。 そうした理由から学んでいる大人の女性が多くいました。 私はその生徒様に、 「では、インストラクターになるためにヨーガを学ぶのではなく ご自身の内面の成長のために 個人指導でヨーガを深く学んでいきましょうか?」

体に対する嫌悪感を素直さに変えたとき光りは訪れる

幼少の頃から自分の体に対して嫌悪感を抱いていた方がいました。 自分に向けられた嫌悪感という心の矢は、 大人になっても解放されることはありませんでした。 その矢はいったい どこへ行ってしまうのでしょう? 人は少なからず誰もが 自分に対する否定的な思いを持っているのではないでしょうか。 たとえば、「私は~がやりたいけど~だから出来ない」 こんな心の思い込みは、 日常の中で常にささやかれていますよね。 しかし問題なのは、 このささやきを客観的にとらえられていないことです。 無意識の心の層からスっと出てきたささやきを 承認してしまうのではないでしょうか? つまり、 そのささやきが出てくると さっきまでの夢も希望も、明るい考え方も 一気にねじ曲げられてしまうのです。 人格がスっと入れ替わっったかのように 自分に対する見方ばかりでなく 周りさえも嫌悪感の目線から見えていくことはありませんか? 「もっとこうすればいいのに、もっとあぁすればいいのに」 そんなふうに周りが見えた経験があるかもしれません。 今、自分の目に映っている目の前の情報を どのように理解しているかよく自分の心を観察していきます。 そうすると、 どんな心の性質が発端となって 今目の前のこの光景を解釈しているのだろうか? このように観ていくと、 自分の心の世界が少しずつ見えてきます。 自分に向けられた嫌悪感は、 それが体であれ心であれ、何であれ 自分を攻撃していることになるとはよく言われることです。 それと同じ意味が体にもあてはまります。 体は道具と同じです。 心を込めるとどんどん変わっていきます。 しかし、その反対に嫌悪感を向けられてしまうと どうなるでしょう? 嫌悪感いっぱいに使用された道具の行く末がどうなるか 想像できますよね? 物には心が宿ると言うように、 体にはその人の心がありのままに宿ります。 現代人の頭の中は、 痩せている人がキレイという神話に洗脳されているため、 そこから少しでも自分の体が外れていると 嫌悪感を抱く人は少なくないのではないでしょうか? また、自分の体に向けられる

体にどうしたらよいかきいてみましょう

まず、あなたから幸せになりませんか? そのために 自分の体と和解しましょう。 やり方はとてもシンプルです。 ヨーガの神経エクササイズを使って下さい。 でも、体には扱い方があるので ヨーガを通じて 自分の体と和解することを決めたら、 体のためにヨーガの神経エクササイズのやり方を学んでほしいのです。 私は、 ヨーガ個人指導を通じてクライアント様のお体に触れていきます。 その方の体の声が聞こえます。 これまで何千人という肉体に触れてきました。 そのほとんどの 体は 泣いています。 信じられないかもしれません。 体が泣くなんて。 しかし、 それが事実であることは クライアント様のお体に手を触れ、 私の体を通してクライアント様のお体を ヨーガのアーサナへ深く誘導していくとわかります。 クライアント様ご自身が体験します。 大量の涙が、 目という体の一部からとめどもなく 流れてくるからです。 気管から 抑圧されていた何かが嗚咽という呼吸になり 出てくるからです。 ヨーガ個人指導では、 クライアント様だけでは到底動かせない体の部分を 私の独特なアジャストと一緒に動かし 開いていきます。 センシティブ・ヨガは、 社会生活にいる 一般生活者に必要なものです。 なぜなら、 この体で生きていかなければ ならないじゃないですか⁈ 心の深いところで自分の人生を変えたい。 そう思っている方に ヨーガを学んで頂けるようにと思っています。  ヨーガは、 体と心のつながりについて学んでいきます。 ・肉体のレベル ・エネルギーのレベル  ・感情のレベル ・知性のレベル ・魂のレベル 少しずつ、 本当の自分ってどういう存在なのか 自身を知ってゆきましょう。 そうすれば、 必ず多くのあなたにとって大切なことを 発見することができるはずです。  ヨーガの学びとは、 そういう不思議な力を合わせ持つものなのです。 そして、ヨーガレッスンとは それぞれの体のレベルに 耳をすませることができるようになる練習です。 痩せることや汗かくことを考えてアーサナを行っていると あなたに本当に必要な声は 届かないのです。 その代わりに、 ヨーガのレッスンをしても、 心はどこか空虚ではありませんか?  なんとなくいつも体調が悪くありませんか?  不満の声しか聞こえないのではありませんか?  自分の体が重いと感じていませんか?  な

ネガティヴな思考からあなたを守る方法をつかむ

思考について考えていきませんか? あなたの今動いている思考。 それは、 あなたの願望を実現する 益になる思考でしょうか? それとも、 何の意味も目的もなさない 自我からくる無益な思考でしょうか? 思考には中立がなく、 このどちらかしか働かないのです。 一瞬目を閉じて、 自分の心を見つめてみることは できますか? しかしそうは言っても、 自分の部屋で一人目を閉じても そこに見えるのは自我が生み出している思考です。 自我の力は強力なのです。 目を閉じたとたん、 自分の心の動きを見るはずが 自我の考えに飲み込まれてしまっていたことありませんか? ここに気づいているでしょうか? あなたが無気力で怠惰になり、 タマスのエネルギーが優先になっている時は プラーナーヤーマや瞑想はできません。 注意を払う必要があります。 ヨーガのアーサナ、プラーナーヤーマ、 その他の様々なテクニック 瞑想。 あなたの心に今やって良い時とそうでない時があります。 その原則をきちんとご自身で学んで下さい。 人は誰もが 自分自身の思考に悩まされています。 自我の考えは、 他人は幸せそうに見えるものです。 しかし、悩みは共通しています。 ただ、表面で意識していないだけなのです。 自分がネガティヴな思考を生み出しているネガティヴ人。 なんて 他人にそのように見られたくないという自我の考えが 自分のネガティヴな思考を奥に隠してしまいます。 それがかえって逆に ネガティヴな思考を増強させてしまう働きになることに 気づかなければなりません。 思考は道具です。 健康になりたければ、 この道具の使い方を学び知るべきなのです。 思考に振り回されて生きる不自由さから 自由になる権利を人間は与えられています。 その方法をヨーガからぜひともつかんで下さい。 私たち人間は、 自らの意思で思

友人から贈られた「ありあまる富」

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同世代の友人と話した後、 帰りの電車でボックスシートに座り 流れるいつもの車窓を見ていたら、、 メールが届きました。 私の話しを聴いてくれた友人から。 私の知らなかった歌が 届きました。 ウフフ、 イキだなぁ ありがとう。 今日の空はグレー。 私、まだまだ頑張れるし、 これからだなと思った。 50歳を目前にして思う。 失う経験をたくさんさせて頂いたので、 これからはその逆がやって来る。 私の人生、これから。 そう思う時期は人それぞれであって、 私の場合は今からかな? なんとなく、 そう感じるの。 ウェディングドレス着る夢はまだ忘れてないし、 ネコに囲まれてスヤスヤ眠る夢も忘れてないし。 そんなこと考えてると やっぱり楽しい! 生き続けることは、 死ぬ瞬間に最高の笑顔でいる その準備だよね。 ありがとう*\(^o^)/* 僕らが手にしている 富は見えないよ 彼らは奪えないし 壊すこともない 世界はただ妬むばっかり もしも彼らが君の 何かを盗んだとして それはくだらないものだよ 返して貰うまでもない筈 何故なら価値は 生命に従って付いている 彼らが手にしている 富は買えるんだ 僕らは数えないし 失くすこともない 世界はまだ不幸だってさ もしも君が彼らの 言葉に嘆いたとして それはつまらないことだよ なみだ流すまでもない筈 何故ならいつも 言葉は嘘を孕んでいる 君の影が揺れている 今日限り逢える日時計 何時もの夏がすぐそこにある証 君の喜ぶものは ありあまるほどにある すべて君のもの 笑顔を見せて もしも彼らが君の 何かを盗んだとして それはくだらないものだよ 返して貰うまでもない筈 何故なら価値は 生命に従って付いている ほらね君には富が溢れている

調和の暮らしを構成するヨーガの法則

「どうしても私はこの生き方を変えたい」 大袈裟なことではありません。 人生半分生きてくれば、 誰もがそう感じるのではないでしょうか? 今、私たちは「人生」という言葉を用いて 時間の流れを理解しています。 一方、 時間の観念がない次元では 「世界」となります。 この「世界」から 人間の人生を考えてみましょう。 私の世界はデータの再生にすぎない。 同じデータが繰り返し再生されているのが私の世界。 自分の世界がデータで構成されている? 「そんなのウソよ!だって私ちゃんと自分で考えて行動してるもの」 そう思いますよね? しかし、 データの反復というもので 「私の世界」が構成されていること に気づいたら、 「私のデータ」を 更新したくなるのではないかと思います。 もしそうであればぜひ、 ヨーガ・スートラを解読していくことをご推奨します。 買って読んですぐにわかる内容でないことは確かです。 しかし、 理解する努力に値するだけの価値は 十分すぎるほどにあります。 なぜならここに、 世界を構成するデータのことが書いてあるからです。 では、ヨーガ・スートラを理解する方法を書いていきます。 まず、 内側の知性を開いていかなければなりません。 その準備となるのが、 アシュタンガ・ヨーガのヤマとニヤマなのです。 ヤマとニヤマは、 ヨーガを実践する人の基礎であり根幹となるものです。 アーサナだけをやっていても、 逆に心が乱れるという経験をしたことはありませんか? 妙に浮足立ったり、 興奮気味になったり、 おしゃべりになったり、 自信過剰になったりしたことがないでしょうか? このような状態になった時、 健康になった!もう私は大丈夫! と人は勘違いします。 そして、 これがヨーガの効果だと誤解してしまうのです。 しかし、 その後落胆したことはありませんか? 何かミスを起こしたり、 あれ?この間まで私良かったと思ったのに、、、 何で急にテンション下がってるんだろう?? このような経験が少なからずあると思います。

愛情と美しさの関係

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西東京の青梅線にある牛浜という初めて聞いた駅から 教室まで来て下さったAさん。 バラの花束を抱えたAさんが駅のロータリーに見えた時、 私は何故か迷子の子供を見つけた親のような安堵した気持ちになりました。 Aさんは、私が都内で教室を開催していた時、 何度かお会いしたことがありました。 教室に飾っていたお花を Aさんに差し上げたことを覚えて下さっていて、 「今度は私が…」と ゴージャスなピンクのバラを抱えて来てくれました。 バラを花瓶に挿しかえるため長い茎を切ろうと 「ごめんね、一瞬で終わるからね」とハサミを入れたら、 バラがハサミを吸い込んだような感じがしたのです。 こばんでいない。 受け入れてくれている。 お花屋さんで購入するバラの茎は、 切る時に硬いなぁと感じるものが多いのです。 ところが、Aさんのバラは柔らかい。 茎がすごく素直なんです。 Aさんに、「あのバラ、いつもお花屋さんで買うバラと違うね」と言ったら、 「わかりますか?!」と嬉しそうにAさん。 Aさんの持ってきて下さったバラは、 丹精込めて造られたバラ職人さんのバラ。 育てる行程からすでに違うのだそうです。 気持ちを込めて造られたバラの花をプレゼントして頂き、 私はとても嬉かったです。 遠くから、長い茎のままのバラを抱え 2時間以上もかけてアトリエまで来て下さったAさんのお気持ちに 心から感謝します。 さて、 そのバラを育てるお話をAさんから聴いた時、 私の脳裏に人でいっぱいのヨガスタジオが浮かびました。 人間の心と体も大量型式では 心の美しさまでは育たないのでは? 花と同じなのかもしれないなぁ・・・と。 売られていくために大量生産される花と、 同じように人の手に渡っていくけれど 育つまでの一つ一つの行程に心を込めて造られる花。 ヨーガもそうなんですね。 ポーズで、痩せよう、汗かこう、 痩せるために水をガン

生きて、ヨーガを伝えて

今朝、4時半にパっと目が覚めました。 昨晩、就寝前に使ってそのまま敷いてあっヨガマットの上に おもむろに私は座法をとりました。 一日のはじめに自分の心の動きを観る習慣。 この心の動きというものは毎日違う。 アーサナをやるようになって私は体に対する意識が変わった。 それまでは、筋トレをして体脂肪率は10%台で、 限界まで追い込むトレーニングをしていました。 今ではそんなトレーニングも、 ライ○ップというお洒落なものになり一般的になりました。 当時はコアなもので日常には程遠いツールでした。 そう、どう変わったのかというと 体にはこれまでの声にならなかった声が染みついているということ。 抑圧することって、誰にでもあると思います。 それが、アーサナをやるようになって意識を体に向けると 聞こえてくるんです。 過去の私の声が。 それは、私だけじゃなくて誰にでもあるもの。 個人セッションの時は相手の体の声が私に聞える。 だから、相手の体をどう動かせばよいかがわかるのだ。 体がこうして動かしてほしいと言っているのです。 相手の体の言う通りに、私が手をかけて動かしてあげると その人の呼吸が変わっていくのがわかる。 それは、目には見えない呼吸の部分。 そう、体から聞えてくる声を聴いていると あぁ、こんな想いが私の中にまだあったのだなぁ・・・ この想いに気づかず、浄化して癒してもあげなければ 私どうなってしまうんだろう?と思います。 死ぬ前までにはせめて、出来る限り想いを肉体から抜いてあげたいと思います。 肉体に痛みがあっても、焼いたりなんだりして消滅することができる。 けど、 焼いても煮てもどうしても消すことができないのが人の想い。 でも、一つ方法があるのです。 その方法が、愛。 愛で想いを昇華できることを知りました。 私はその方法にヨーガを使うことを選んだ。 それを見つけるまでは、本当にいろいろな方法を模索した。 いろんなヒーリングやセラピーのセミナーやワークショップに行って探したけれど、 どれも私には、私にはねピンと来なかった。 私は今、お二人の女性にヨーガの指導法をお教えしています。 このような機会を与え

次はあなたがヨーガを誰かに教える番です

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今回の女性のためのヨーガ哲学の際、 こんなご質問をいただきました。 「子供の貧困問題をなんとかしなければ」 この問題をヨーガではどのように考えるかというものでしたが、 ここから書いていきたいと思います。 ヨーガは、個人的な改善にかかわるほどには 社会的な改善にかかわりません。 なぜなら、 社会を構成するのは人であり、 社会の単位である一人の人間がちゃんとすれば 社会は自動的によくなっていく、 というのがヨーガの考え方だからです。 こうした背景をもとに前回の講座では、 ヨーガのヤマ、ニヤマを解説していきました。 ヤマとニヤマは単なる道徳的な規範ではなく、 あなた個人の心の健康を得るための 実践的な手段としてあるのです。 困っている人がいるのに、 ヨーガの見解からは実際に手を出さないのか?! という極論も上るかもしれません。 しかし、ヨーガは運動を起こして社会を変えようとするより、 個人の心の成長と進化を促すために存在するものです。 一人が、個人的な小さな悩みを超えて大きな人間性に目覚めることができれば、 公開中の映画、 永遠のヨギー のヨガナンダ大師のように、 人の意識を変えるほどの存在になるとヨーガはみているのです。 実際に、ヨガナンダ大師は死後もなお、 人類の意識を現代に至るまで変えるほどの影響力を放っています。 子供の貧困問題と同時に、弱い者への暴力もあります。 以前、モールにショッピングに行った時のことです。 小さな子供の背中より大きなリュックを背負った女の子が、 父親らしき男性にリュックごと蹴られている光景を目にしました。 母親らしき女性とその女の子の兄という4人構成の家族で、 ワゴンに並べられたお財布を見ていた時の一瞬の出来事です。 一番心に残ったのが、その少女の反応でした。 蹴られて強い衝撃が体に走ったであろうに、 その少女のオーラも何も、表情さえも変わらない。 心そこに在らず、、、 正直に言えば魂が抜けている状態だったのです。 恐らく、相当そのような状況に合い 心を閉ざして反応することを 自分で自分の身を守る防御策としたのかもしれません。

しっぽのある同居人

雨ですよん(^。^)  なぜかふと、 プライベートで使っている白い手帳を取り出し、 ある方の個人セッションの予定を 書き込んだのです。 私。 そうしたら午後になり、 「金曜日絶対行きます。 子供達誰も病気になりませんように 祈ってて下さい」と メッセージが届きました。 世田谷から子育ての合間をぬって ヨーガの個人セッションにいらして下さるMさん。 大丈夫、今回は来れますよ*\(^o^)/* そういえば、、、 アトリエにいらして下さる方は 都内在住の方がほとんどです。 最近、やはり私 しっぽのある同居人と暮らしたい本心が募ります。 猫と暮らしたいのです。 猫と生きていると 私らしくいられるのです。 最高の弟子だった ドラが逝ってしまい 今年で3年。 同居人の母はもう動物は飼わないと言い張るし。。。 となると、ペット可物件に 引っ越ししたいなぁ〜と考えています。 そこでヨーガも教えられて。 そうしたら、 今流行りの猫ヨガになりますね。 猫が目に入ろうが微動だにせずポーズに 集中する! 体にどんなにまとわりついても 心動かさない なんて高度な修行もできるし。。。 自分の教室に猫が自然と居る光景を思い描いてたので、 実現させたいなぁと思うようになりました。 少人数でヨーガができるリビングスペースがあって、 そこで勉強会もして、 もちろん猫と一緒に暮らせて(^。^) まわりに緑があって、 窓からの眺めが良くて、 気の流れの良い間取り。 宇宙よ、 そんな物件があれば私に教えて下さい。

本当の私に出会うまでの・・・

今回は、 意外と見落とされている ヨーガのレッスンの中の ヤマと二ヤマを解説しました。 これぞ元祖引き寄せの法則!と、 一同驚きました。 ヤマと二ヤマに 富がやってくるその法則が説かれています。 アヒムサは非暴力と教えられると思います。 単純に解説すれば、 人を傷つけちゃいけないよーとか、 動物を殺しちゃいけないよーとか、 そのように教えてもらう場合が一般的です。 しかし実は、 もっと深い意味があるのです。 ヤマと二ヤマの10項目を、 一つずつ深い意味から解説していきました。 智慧の話しは癒しの効果があります。 頑なな考え方に気づくきっかけになったり、 古い考えを手放すきっかけや 新たな価値観に入れ替わったり、、、 一人一人の内側でそれぞれに 様々な心の体験をされます。 そうした中で、 智慧の力により一人が癒されると まわりも共に癒されることになるのです。 おかげさまでこの講座は、 そのような 愛の空間になっています。 ご参加者の方から、 子供の貧困問題に対してご質問がありました。 今や私たちは、 まずは女性が一致団結して、 病んでいるところに癒しと元気を与え、 攻撃のあるところに 思いやりと愛を与えることが 出来るのではないでしょうか? 議論やデモ、運動を起こしても その行為の心根がどうあるかで、 アヒムサに反していることになります。 女性の私たちが率先して、 自らの心の闇を光りにシフトする努力をして 癒しと愛を体験していけば、 愛こそが偉大な力だと 気づき 愛を基に考え行動していけのではないかと ヨーガの立場から考えます。 その場で何かがすぐに変わることはありません。 しかし、 小さなエゴの崩壊は起こります。 それが、 あなたの意識を少しずつ変え 現実の見方が変わり、 日々のとらえ方や生き方が変わり、 結果 自分もまわりも変わっていくはずです。 それが、 智慧の力なのです。

ダリアの花を献げて下さい

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お花屋さんの前を通り過ぎて、 通り過ぎようかなーとした時 お店の中にいる ピンクの大きなお花と 目が合いました。 数歩後戻りしてお店に入り、 目が合ったそのお花を一輪手に取った。 「これください」。 ハスの花のようなダリア。 なんて美しいピンクだろう。 純白からピンクへのグラデーション。 これが自然の力なんて。 いや、 人間より自然の力の方が 本来美意識は繊細だろうな。 なら、 人間も自然体に戻れば もっと美しくなれるんだ。 今日また目覚めた私の新しい意識に 現れたお花なのだろうと思った。 闇からやっと光に出てきた意識へ、 これからは 愛と光りで生きて下さいと お花を贈ります。 ヨーガでは、 さとりの象徴として 頭上にハスの花が描かれる。 私には、 ダリアの方が合っているみたい。

女神たちのスピリチュアル・ジャーニー

5月15日の女性のためのヨーガ哲学は ヨーガを学んだ方なら 一度は耳にしたことがある アシュタンガヨーガのうちの 一番目と二番目の法則。 ヤマ、ニヤマ。 なぜ敢えてここに今触れるのか? 実は、 ここを見落としている人がとっても多い。 ヤマ、二ヤマを ヨーガのエレメンタリーだと思っている人は少なくない。 「ヤマ、ニヤマ知ってる?」ときくと、 「聞いたことはあります」という答えが返ってくる。 もったいないよね。。。 インドでヨーガといったら、 ポーズよりここを重視しています。 なぜなら、 ここに「法則」があるから。 ヨーガは男性中心の精神修行だった。 だから修行者も圧倒的に男性。 そうした過程の中で、 秘儀的なヨーガは 多分に誤解されてきたであろう。 いつしかヨーガは苦行となり、 その名残が現代にも及んでいるのではないだろうか? 体には決して良くないのに、 ホットヨガにいそしむ人が多いのは。。。 過去世で修行に苦しんだ魂?? わかりませんが。。。 その昔、 ハタヨーガで失敗して 肉体ばかりでなく 精神まで病んだ行者が多かったという話を聞いたことがあります。 その時私の脳裏に、 現代のヨーガ事情がふと浮かびました。 人は記憶を繰り返すという。 だとしたら今回は、 その先に進むためにきっと生まれ変わったのでは? それなのに、 また苦行を繰り返しているの?? 苦行をしてきた魂の私たちだったとしたら、 もう苦しむのはおしまいにしよう。 私たち現代女性が、 宇宙の流れに身をまかせ、 そのエネルギーとともに生きる女性になるために ヤマ、二ヤマに取り組むか? あなた一人からの目覚めが 隣人の盲目を 目覚めさせることになるのです。

部屋とわたし

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美人ジュース! 今朝はバナナとイチゴで♪ 笑っちゃうけど、 私は美人ジュースを飲んでいる時が好き。 心をこめて作る美人ジュース。 フルーツをカットして、 豆乳とヨーグルトを入れて マシンをスイッチオン。 ただこれだけだけど、 どういう心の状態で行為をするかで 結果は違うよね? チャイもソイラテも ストレートの紅茶も 自分で淹れたのが一番おいしい。 以前はカフェ好きでした。 私が20代後半の頃 表参道でよく仕事をしていて、 そこに今のカフェの走り的カフェがオープンしたのを機に、 カフェが好きになって。 休みになれば 電車に乗って、 当時の彼にも便乗してもらい(-_^) 遠くの街(ウチからは…)まで カフェ巡りに行っていたほど。 今はすっかりウチカフェになりました。 だって、 気の流れが良いんですもの。 私のピンクのお部屋。 私はここで 一生の半分を生きた。 海外で暮らしたり 湘南で一人暮らしもしたけど、 やっぱりここに戻って来た。 これまで私の一部になってくれて どうもありがとうと思う。