弘前ヨーガレッスンの奇跡

弘前で月1回ヨーガレッスンを開催して半年経ちました。

人間の不思議さをご参加者のお声から体験しています。

ヨーガの後、宿便が出た異様な量の尿が出た、

薬を使用しないと排便できない方が自力で出せたり、

排泄作用が異様に促される結果に集中しています。

共通点はヨーガは初体験であること。

先週末参加して下さったIさんのお声から抜粋させて頂きます。

「あの日帰ってから夜になってお腹が痛くなり、何度も何度もものすごい量の便が出ました。ある方が話していた排便のことってこれかもって思いました。ホントにトイレが詰まるかと思うほど出ました。毎日出てるのに、良くもこれ程お腹に入ってたもんだと」。

私たちは自分自身の発する言葉とあらゆる思い込みによって身体を制限しています。

「私〜だから」この言葉を無意識に発するうちにこの状態を形状記憶にしていきます。

慢性疾患という固定化した心と身体の状態を解除する手立ては、

「意識の持ちよう」にあるかもしれません。

「病は気から」というのは単なる諺ではなく心と身体の法則ではないでしょうか。

今回でヨーガ3回目のIさん。

初めてお会いした時は右股関節の可動域が左の開き具合と大きな差がありました。

しかし今回は以前とは違っていました。

それを教えてくれた1枚の画像があります。

 過去2回のレッスンでは、

可動域が制限された右股関節をかばうように動かれていました。

それが今回のレッスンでは左右差なく股関節が開かれたのです。(画像右端の座法を組むIさんの右股関節がその証拠です)





これまでのIさんを拝察していただけに画像を目にした時の驚きは計り知れません。

この事実にIさんご自身が注意深く気づくことにより、

身体に眠っている可能性と心の力を引き出すきっかけになります。

ぜひヨーガを継続して可能性を実現してほしいと願うばかりです。

「排泄作用が促されるのはなぜか?」

医療関係の方はどのようにお考えになるのか会話の中で触れたことがあります。

「それは血の流れが促されるからでしょう」と返答がありましたが、

果たしてそれだけの理由でしょうか?

ではなぜ血の流れが促されるのか?と考えることができます。

血の流れが促されたのなら背後に理由があるはずです。

そしてその理由の背後にも理由が。

人間は多次元からなる多重構造の存在です。

単に「心と身体」という大雑把な存在などではありません。

緻密で複雑、かつ繊細な心と身体のつながりを持ち、

骨格の設計などはまるで神業です。(実際その通りなのですが)

内臓はとてもデリケートでそれを守るように骨格が設計されています。

その臓器を私たちはどれほど大切にしてこれたでしょうか?

臓器はまるで守られるかのように大きなゲートで囲われています。

肋骨と骨盤の形を見ると設計者の意図が見えてくるようです。

最近では、メディカル系のヨーガが見られるようになりました。

しかし、ポーズを用いた身体的アプローチによる運動療法としてのヨーガです。

エビデンスも身体面での変化をとらえるものが主です。

ヨーガがもたらす心と意識への作用の研究までは及んでいません。

ヨーガを運動療法として捉えているうちは、

ヨーガの持つ可能性を十分に活用しているとは言い切れません。

ヨーガの心理療法的側面に医療関係の方が着眼されることにより、

新たな治療のプロセスを提供することが可能になるのではないかと考えます。

 ヨーガは治療行為はできませんが、

治療を円滑にするその基盤づくりを担うことができます。

「病は気から」この気の部分の治療です。

目に見える肉体に表面化した病を医療が、目に見えない気の部分はヨーガが。

これまでは目に見える分野と目に見えない分野それぞれが孤立して互いの距離がありました。

その距離を埋めることにより本来の人間に必要な治療を提供できるのではないでしょうか。

人と人が出会うことからこの想いは実現へ向かっていくと思っています。

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